仙川1号~2号踏切
OpenStreetMapで
仙川~つつじヶ丘間を見る。
調布市仙川(せんがわ)町にある仙川(せんがわ)駅は、東側を流れる仙川(せんかわ)と西側を流れる入間川(いりまがわ)に挟まれた台地になっていて、仙川駅はその台地の掘割を造られている。
大正2年(1913年)に開通した京王電気軌道は仙川駅の西側から国道20号(甲州街道)に合流してしばらく路面電車となっていたが、昭和2年(1927年)に現在のルートに変更されている。切り替え前の線路後は現在は滝坂という道路になっている。
さて、2018年に一部の工事が始まった京王線笹塚~仙川駅間の連続立体化工事は、元から掘割に駅が造られている仙川駅の東側で終わることになっているが、仙川駅の西側にはつつじヶ丘駅の横に仙川2号踏切がある一方、仙川1号踏切は見当たらない。
すでに書いたように仙川駅付近は掘割のため元々踏切はなく、現在の地図では踏切があった場所はわからなくなっているのだが、
昭和22年の空中写真を見ると、掘割から入間川に向かって出てくるあたりにそれらしい痕跡が見える。今回はここを探しに行ってみよう。
掘割の上に建つ仙川駅。ホームと線路は地下に下りて行ったところにある。ところで、「仙川」の読み方についてはすでに書いたように揺れがあって、一級河川の看板は「Sen-Kawa」となっていて濁らないのだが、地名はセンガワチョウで濁る。駅名は濁る方で、濁らないセンカワは東京メトロ有楽町線、副都心線、西武有楽町線の「千川」(こちらは千川上水にちなんだ地名)がある。実は川にも「Sengawa」と濁っている看板もあるそうでなおさらややこしい。
ちなみに千川上水を管理していた千川家はここ仙川の出身だという説があるそうだ。
このページの写真はいずれも2022/1/8撮影。
掘割の北側を進んでいくと入間川に向かう崖の上にキューピーの仙川キューポートが見えてくる。守衛所の建物が卵の形をしているところがユニークだが、ここはかつてマヨネーズを作っていた工場の跡地だそうだ。
京王電気軌道の軌道線はキューポートの建物南側を斜めに進んでいたはず。
キューポート西側の道路から滝坂を見たところ。かなりの急坂になっているが、軌道線は道路の下をくぐっていたというのでかさ上げされた結果と思われる。
滝坂の南側にある大正橋からつつじヶ丘方向を見る。空中写真で確認した踏切跡はピンクの点線あたりではないかと思われる。ちょうどのそのあたりが掘割の出口で、つつじヶ丘方向は築堤になっているので、地面と高さが一致しているあたりに踏切を設置したのかもしれない。
築堤の北側から踏切の入り口と思われる路地を見たところ。行き止まりの道になっている。
築堤の南側から踏切の入り口を見たところ。こちらも現在は行き止まりになっており、写真右のほうへ向かっていたであろう踏切道の痕跡は残っていない。
いったん北側に戻ってつつじヶ丘方向へ向かう。外郭環状道路予定地の西側で入間川を渡る。
ところでこの入間川も流域の地名は「イリマチョウ」で、「イリマガワ」と読むのが正しいということになっているのだが、かつては「イルマガワ」とも呼ばれていたそうだ。埼玉のほうは「いるま」なのだが、こちらは元々「いりま」の方が古い読み方だという。
入間川西側の崖を上ってきたところにあるアンダーパス。高さ制限1.7mと背の高い人なら天井に頭が付いてしまいそうだが、こちらが仙川1号踏切ではないのかという疑問も沸くだろう。しかし、古い空中写真でもここは元から立体交差になっていたようだ。
そこから東側、仙川1号踏切があったであろう方向を見てみる。北側は鉄道敷のフェンスと住宅の塀の間に微妙な空間が残っているように見えなくもない。
南側は鉄道敷のフェンスが途切れている場所があり、坂を上って踏切に向かっていた道があったのではと想像してしまうが、確証は得られていない。
つつじヶ丘駅東側の仙川2号踏切。今回の連続立体化では対象外で、ここから西側の柴崎駅を過ぎて柴崎4号踏切まではいまのところ連続立体化の予定がないようだ。
最後につつじヶ丘から仙川に向かう車内から先ほどの北側行き止まりのあたりを見てみた。突き当りになっていた部分で鉄道敷が北に広がっており、ここにかつて踏切へ向かう道路があったとしてもおかしくはなさそうだ。