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成城学園前1号~4号踏切

OpenStreetMapで成城学園前駅〜喜多見間を見る。
連続立体交差化事業で地下駅となった成城学園前駅の西側には国分寺崖線があり、喜多見駅との間には大きな高低差がある。
連続立体交差化事業で地下駅となった成城学園前駅の西側には国分寺崖線があり、喜多見駅との間には大きな高低差がある。

地上にあった成城学園前駅の西側に位置していた成城学園前1号踏切跡。写真左の道路=成城六間通り部分に踏切があった。
ホームのあった部分は現在成城学園前駅西口バスターミナルとなっている。
このページの写真はすべて2025/6/1撮影。
ホームのあった部分は現在成城学園前駅西口バスターミナルとなっている。
このページの写真はすべて2025/6/1撮影。

踏切跡から成城学園前駅西口を見る。2面4線のホームがあったため構内が広く、余裕のある作りになっている。
もっとも西口から発車するバスは旧北口バス停から出ていた京王線方向へ向かう路線だけで、本数の多い渋24系統など南へ向かう路線は現在でも南口バス停から発車しており西口は降車場として使用されている。
もっとも西口から発車するバスは旧北口バス停から出ていた京王線方向へ向かう路線だけで、本数の多い渋24系統など南へ向かう路線は現在でも南口バス停から発車しており西口は降車場として使用されている。

連続立体化以前から崖線を下る小田急線は堀割りになっていたため、踏切西側で線路を渡る2本の道路は陸橋となっている。
成城学園前寄りの富士見橋からは名前の通り富士山がよく…見えるはずだが、この日はあいにく雲が覆っていて見ることができなかった(関東の富士見百景54として指定されている)。
快晴なら額縁の中に富士山が収まっているはず。
成城学園前寄りの富士見橋からは名前の通り富士山がよく…見えるはずだが、この日はあいにく雲が覆っていて見ることができなかった(関東の富士見百景54として指定されている)。
快晴なら額縁の中に富士山が収まっているはず。

次の不動橋から富士見橋方向を見る。堀割りは蓋をされて市民農園として利用されている。

不動橋から崖を下る不動坂を降りていったところに喜多見不動堂がある。
不動堂そのものは明治9年(1876年)の建立という比較的新しいもので、境内には崖線から湧き出た水が滝として流れ落ちている。かつてはここで水行が行われていたそうだ。
不動堂そのものは明治9年(1876年)の建立という比較的新しいもので、境内には崖線から湧き出た水が滝として流れ落ちている。かつてはここで水行が行われていたそうだ。

不動堂から崖下の道を少し北へ向かったところには成城みつ池がある。
こちらも湧水によるもので、耕作用の作られた3つの溜池があったことからその名がついたという。
こちらも湧水によるもので、耕作用の作られた3つの溜池があったことからその名がついたという。

崖線の下を流れる野川の上野田橋から小田急線の高架を見たところ。
喜多見駅へ向かって下っていく本線と別れてその上を跨いでいくのは野川右岸にある喜多見検車区への入出庫線。
喜多見検車区は連続立体化工事に伴って平成6年(1994年)に経堂検車区を移転したもので、屋上は世田谷区立きたみふれあい広場として開放されている。
喜多見駅へ向かって下っていく本線と別れてその上を跨いでいくのは野川右岸にある喜多見検車区への入出庫線。
喜多見検車区は連続立体化工事に伴って平成6年(1994年)に経堂検車区を移転したもので、屋上は世田谷区立きたみふれあい広場として開放されている。

上野田橋から喜多見駅方向へ。成城学園前2号踏切は連続立体化以前に廃止されており、その位置は正確にはわからない。

全国Q地図で東京都3千分の1地図(1961〜1962年)を見る。
前の写真手前にある高架をくぐる道路よりもやや奥、左から道路が出てくるあたりに2号踏切はあったようだ。
昭和40年代前半に行われた野川改修工事に伴って道路の付け替えが行われた際に廃止されたと思われる。全国Q地図の東京都3千分の1地図では、昭和43年(1968年)の時点ではすでに廃止されているのがわかる。
前の写真手前にある高架をくぐる道路よりもやや奥、左から道路が出てくるあたりに2号踏切はあったようだ。
昭和40年代前半に行われた野川改修工事に伴って道路の付け替えが行われた際に廃止されたと思われる。全国Q地図の東京都3千分の1地図では、昭和43年(1968年)の時点ではすでに廃止されているのがわかる。

成城学園前3号踏切の跡は現在も道路として使用されている。

喜多見駅東側にある成城学園前4号踏切跡。