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小川2号〜29号踏切
地図
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西武鉄道には小川○号という踏切が2系列あり、小川駅を挟んで北側に国分寺線の小川1号〜5号踏切、西に向かう拝島線は1号がなく代わりに南からくる国分寺線の鷹の台5号踏切を挟んで小川2号〜25号踏切がある。
鉄道ピクトリアル2002年4月増刊号「【特集】西武鉄道」P139によれば、西端の東大和市付近が高架化される前は小川29号踏切まであったそうだ。現在でも西武では最も番号の大きい踏切があるのがこの拝島線。
地図その1
柏書房「東京都市地図4 東京西部」(1996/7発行)より「小平・国分寺1952(1:10000)。拝島線はこのころ上水線と名乗っていた。
東側の前半部分は細長い農道ごとに踏切が造られていた様子がわかる。
この一帯は18世紀(享保の改革の頃)の新田開発で開墾された小川新田にあたり、玉川上水の分水である小川北用水、小川南用水の水を効率的に配分するために短冊形の地割が採用されたものが残っているのだそう。拝島線はその短冊形の農地の真ん中を突っ切っているため、南北通路として踏切がたくさん設置されたようだ。
タカ5
小川駅の南側に位置するのは国分寺線の鷹の台5号踏切。国分寺線は南から、拝島線は北から数えるので、順序が逆になっている。
このページで、日付の記載がない写真は2012/8/4撮影。
小川2
拝島線が西へ転進するカーブ上にある小川2号踏切。
廃踏切?
小川2号踏切を超えて南にしばらく進むと、左側に怪しげな路地を発見。
行き止まり
放置された道筋を進むと、線路の反対側にも道路が見え、よくある廃踏切らしき行き止まりにあたる。
古い地図でもかつてはここが踏切だったように書かれているものがあるのだが、鷹の台4号踏切はさらに南側に存在しており、該当する踏切番号はない。
※昭和61年(1986年)に埋め戻された基幹排水路(緑川)の跡地らしい。線路の向こう側は緑川通りという道になっていて、小平駅の東側までまっすぐ続いている。(参考:東京の水 2009 fragments様、市報こだいら569号/昭和61年4月5日発行)
踏切…
ちょうどその反対側を見る。この先に踏切があるのだが…
線路は右で、道路は左に曲がっており、一見踏切があるようには見えない。
発見
上の写真右側のアパートの奥に北にある線路に向かう細道が!
小川2の2
裏路地のようなこの踏切。番号がまた変わっていて「小川2の2号踏切」という。
もともとあった小川2号踏切と3号踏切の間に、あとから新設されたためこのような番号になったらしい。
西武鉄道では、こういう枝番の踏切がここを含め6ヶ所あるそうだ。
この踏切。写真手前も細い農道になっており使われているのかと思いきや、撮影中にも複数の人がここを利用していた。
小川3
小川2号踏切の西側に、南北とも農道に接続している小川3号踏切がある。
小川4
車両の通行が可能(南向き一方通行)な小川4号踏切。富士見通りと名前が付いている。
小川5
小川5号踏切は廃止されている。それと思しき場所は南側が児童公園になっていた。
この写真は2012/8/11撮影。
北側
北側は住宅地の路地になっている。行き止まりではないが、右側に行く道は清掃車の通路として西武が提供している鉄道敷地らしい。
小川6
小川6号踏切も廃止されている。北側のさくら公園通りが西に曲がるところがそれらしい。
南側には農道があるが、北側の農地へ向かう必要がなくなって廃止されたのだろう。
小川7
現役の小川7号踏切。
立派な作りだが渡った南側はやっぱり農道。
西側は自動車教習所になっており、小川8号踏切の痕跡はまったく見当たらない。全国Q地図の東京都3千分の1地図(1967年)をみると、7号踏切のすぐ西側に斜めに渡る踏切があるように描かれている。
小川9号
自動車教習所の西側にある小川9号踏切。
南側はほぼ藪と化している。
小川10号
南側が私有地になっていて渡れない小川10号踏切。
小川11
ようやく通行が可能な小川11号踏切。
ただし、狭いので別の道へ行くよう案内がある。
西小川信号場跡
小川11号踏切の西側、このあたりに1987年3月から1991年3月まであったのが西小川信号場。
この信号場を境に東大和市方が複線、小川方が単線だった。
この写真は2012/8/11撮影。
小川12
再び農道な小川12号踏切。
小川13
十三小通りと呼ばれる二車線道路の小川13号踏切。歩道も整備され、近辺では小川20号踏切と並んで立派な造りになっている。
小平第十三小学校は北側少し行ったところにある。
小川14
小川14号踏切は廃止されている。13号踏切から線路南側に農道らしき道が続いており、その途中、南に向かって農道がつながる部分がそれだったものと思われる。
写真は小川方向へ向かって2012/8/13撮影。架線柱のあたりに右(南)に向かう道があり、そこが踏切と思しき場所。
小川15
小川15号踏切。この踏切は一連の踏切の中では特徴的なところがある。
この先行き止まり
踏切を渡った南側にある看板。
すなわち、南側の住宅地はこの踏切以外に自動車で入れる道がないということになる。
歩いてなら左右の側道が使えるが、どちらも自動車は通れない。南には小平北用水が通っており、そこで街路が途切れてつながっていないようなのだ。
この写真と次の写真は2012/8/13撮影。
旧15?
ところで、前半部分の地図では現在の小川15号踏切よりもやや西側、写真の前方車止めのあるあたりに踏切があったように描かれている。
こちらに痕跡があるわけではなく、実際どうだったのかはよくわからない。
地図その2
柏書房「東京都市地図4 東京西部」(1996/7発行)より「小平・国分寺1952(1:10000)。後半部分の地図。
こちらは農道があまり描かれておらず、どこに踏切があったのかよくわからない。
小川16
これでもかと車両通行止めな小川16号踏切は上の地図では神明社、現在の小平神明宮の西側にある。
どこ?
その西隣にあったはずの小川17号踏切は、痕跡が全く残っておらず位置が特定できない。
小川18号踏切南側から小川方向を見てみるが、いったいどこにあったのやら。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1952〜1953年)では、写真奥の農道が突き当たる手前あたりにあったように描かれている。
小川18
小川18号踏切は南側が農道ではなく突き当り。
小川19?
小川19号踏切跡も痕跡はない。あえて想定するなら小川18号踏切から線路わきの農道を進んだこのあたりか。
この写真は2012/8/13撮影。
小川20
久しぶりに二車線道路の小川20号踏切。
南側
南側に回ると、踏切の東大和市方に怪しい行き止まりの側道がある。
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)をみると、ここに旧道と踏切があったようだ。
この写真は2012/8/13撮影。
小川21
小川21号踏切も南側は農道。
行方不明
小川22号踏切から小川24号踏切までの3つはまったく痕跡が残っていない。
地図上にはそれらしき場所があるのだが、南側が宅地開発されてしまったこともあり、場所を特定することはできない。
小川25
現存する踏切としては最後となる小川25号踏切は変電所の前にある。
小川26
ぐみ窪通りという名前が付けられている高架下の道が、かつての小川26号踏切だったと思われる。
上の地図にも地名として見えるが、茱萸窪というのはこのあたりの字名だったようだ。
小川27
拝島線の北側を流れる野火止用水(伊豆殿堀)の暗渠から南に抜けているのが小川27号踏切跡と思われる。
写真は南側から。
小川28
野火止用水が拝島線と交差するあたりは遊歩道になっているが、写真左の道路部分の先が小川28号踏切跡と思われる。
高架化前の拝島線はもう少し北側で野火止用水と交差していたらしく、実際の踏切跡はヤサカ駐車場のあたりだったらしい。
小川29
かつてのラストナンバー、小川29号踏切跡は野火止用水を渡る青梅橋という橋が架かっていたところ。実際の踏切は高架よりも北側にあった。
かつては東大和市駅も青梅橋駅だった。1979年に改称後、1980年には高架化が完成して踏切が廃止されている。
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