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秋津1号~5号踏切
地図その1
OpenStreetMapで秋津駅から松井架道橋までを見る。
この区間は柳瀬川の河川敷が広がっており、ほとんど踏切がない。
秋1
秋津1号踏切は武蔵野線新秋津駅から北に向かったところにある。
このページの写真は特に記載のない限りいずれも2023/9/10撮影。
秋津神社
踏切から西へ進んだところ、崖上にある秋津神社。言い伝えでは南朝でいう天授年間(1375〜1381年)の創建というが、神社の看板によると鎌倉幕府滅亡に至る元弘の乱(1331〜1333年)で新田義貞がこの地に陣を張って不動像に祈念したことに由来するとしており、いずれにせよかなり歴史のある神社であることは確かだ。
連絡線
秋津神社の崖を降りていくと、境内東側の地下を通る単線電化の線路が目に入る。西武池袋線所沢駅から並走して、武蔵野線新秋津駅南側へ向かう連絡線で、昭和51年(1976年)の武蔵野線開通から平成8年(1996年)まで西武線の貨物列車が使用していた。現在は新型車両の甲種改装や、多摩川線車両の検査回送で使用されているという。
松井架道橋
柳瀬川を渡り所沢へ向かうところにある松井架道橋。もともと陸橋で踏切ではない。
路盤
道幅が狭く交通量も多いため架道橋の下に長く止まっていることはできないが、頭上すぐのところに鉄道模型で見るようなガーター橋が通っている。
地図その2
OpenStreetMapで所沢駅までを見る。
現存する踏切の他に、すでに廃止された秋津2号踏切、番号のない旧踏切、踏切としては使われていなかったかもしれない旧道の跡が残っている。
昭和36年
国土地理院Webサイトから昭和36年の空中写真(国土地理院撮影)
旧道その1
松井架道橋から所沢陸橋までの間は線路西側に広大な農地が広がり、線路を渡る道路がない。現在線路西側では大規模な再開発が行われているため、旧道跡は消えてしまっている。
行き止まり
線路東側に回ってみると、行き止まりの道が残っていた。
秋2
所沢街道は現在陸橋で西武池袋線を越えているが、昭和47年(1972年)に開通するまではやや南側に秋津2号踏切があった。線路東側からみると、現在は空き地になっている。
西側
線路西側は現在の線路とかなり段差があり、あまり踏切跡には見えない。
所沢陸橋
旧秋津2号踏切西側にある所沢陸橋。
この写真は2023/10/6撮影。
地蔵堂
所沢陸橋から線路は所沢に向かって西へカーブしているが、カーブ外側の陸橋西側にある地蔵堂。
旧道その2
地蔵道の所沢よりにさらに2ヶ所の旧道跡がある。まずは地蔵堂のすぐそばにある細い隙間。線路の反対側は区画整理されており痕跡は残っていないが、昭和36年(1961年)の空中写真では踏切となっていた。
旧道その3
さらに所沢よりに進んだところにある行き止まりの道も旧道跡。
昭和37年
ところで、さきほどの旧踏切と旧道の間にも、国土地理院Webサイトで昭和37年の空中写真をみるともう一つ踏切があるように見える。
ここは南北にあった農道が区画整理でなくなってしまっており、場所を特定することは難しい。
秋3
秋津3号踏切は南向き一方通行だが、北側にある埼玉県道6号川越所沢線兼埼玉県道179号所沢青梅線から南に抜けてくる道となっており交通量は多い。
秋4
秋津4号踏切は西武池袋線が所沢に向かってカーブしていく頂点あたりにあり、ここから線路は南へ向かう。
秋5
線路が南へ転身し、所沢駅手前にあるのが秋津5号踏切。写真奥には、本川越に向かう西武新宿線の所沢1号踏切がある。
撮り忘れ
最後に秋津4号踏切まで戻ってきた。実は、9/10に撮影した際に撮り忘れたものがある。写真右下の矢印部分の標柱がそれ。
ここからの写真は2023/10/6撮影。
標柱は平成30年(2018年)に設置されたもので、「松井村駅跡」と「所沢飛行場駅跡」と書かれている。
ここには、西武鉄道の前身のひとつ武蔵野鉄道が昭和13年(1938年)に近辺の地名を取った松井村駅を開業、すぐに所沢飛行場駅(旧西武鉄道の所沢飛行場前駅=現在の新所沢駅の前身とは別の場所)と改称し、昭和15年(1940年)には東所沢駅(現在の武蔵野線東所沢駅は別の場所)となったが、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦の戦局悪化を受け休止、そのまま昭和29年(1954年)に廃止となっている。
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