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富士見台1号~11号踏切
OSM
OpenStreetMapで富士見台駅から環状8号線までを見る。
西寄りの富士見台6〜8号踏切は昭和62年(1987年)の連続立体化一期工事で廃止されており、東寄りの富士見台1〜4号踏切(3号と5号は高架化前にすでに廃止されており欠番)は平成9年(1997年)に高架化され廃止された。
地図だけでは確定できない場所もあり、西武鉄道の工事概要資料がパンフレットアーカイブス(現在はリンク切れ)というサイトにあったのでこれを参考にチェックしていく。
富1
富士見台1号踏切は駅のすぐ西側、スーパーマーケット「プラザトキワ」脇にあった。現在プラザトキワは、高架下に飲み込まれた形になっている。
このページの写真は記載のない限りいずれも2011/6/11撮影。
富2ではない
貫井3丁目5番地の先、セブンイレブンの東側(右)から北側のスポーツクラブ(西武鉄道富士見台変電所跡)に向かって高架下を渡る道路は高架化のあとに作られた新しい道のようだ。
昭和22年
国土地理院Webサイトで米軍撮影の昭和22年(1947年)空中写真を見る。
わかりにくいが、線路を斜めにわたる2号踏切の西側に、細い道がいくつか線路を渡っているように見える。
富2?
昭和38年(1963年)の空中写真や、昭和59年の「ゼンリンの住宅地図」、平成3年(1991年)の「ブルーマップ練馬区」では富士見台2丁目18番地の先にあるこの場所に踏切は書かれていない。
しかし、西武鉄道の資料ではここが2号踏切となっている。はたして、ここが富士見台2号踏切だったのかどうか。
※追記:連続立体化工事の時点では、ここが富士見台2号踏切だったようだ。昭和38年の空中写真ではもう少し東寄りで、昭和22年ではさらに東寄りで斜めに線路を渡っていたようで、年とともに西へ西へと踏切が移動していったらしい。(メールでご指摘いただきました。くぐるなあぶない でんしゃにちゅうい様ありがとうございます)
富士見台地下道跡
上の写真で左側2ヶ所の踏切道(どちらかが富士見台3号踏切?)は、線路に向かって大きく道が迂回しているように見える。現地で見ると、写真奥がすり鉢の底のような地形になっており、鉄道を境にかなりの段差があったようだ。
1965年
全国Q地図の東京都3千分の1では1965-1966年版まで記載があり、踏切は1960年代半ばに廃止されたようだ。
両側の道を歩いてみたが、踏切の痕跡を見つけることはできなかった。写真に写っているのは、平成3年の「ブルーマップ 練馬区」では線路をアンダーパスでくぐっている道として書かれていて、西武鉄道の資料では「富士見台地下道」となっている道。この道が元は踏切だった可能性もある。
旧踏切
OpenStreetMapで現在の地図を見てみた。GoogleMapで見た場合には、まっすぐ並んでいる商店街の中で、一か所だけ境界線が斜めな場所があった。
どうやら、そこ(地図左側の点線)が昭和22年の空中写真では右側にある元の踏切に至るアプローチのようだ。
踏切跡
2011/6/18の再訪で、車を停めた駐車場側からたまたま移しておいたのがこの写真。中央の路面の色が違うあたりが斜めになっている建物の境目。
昭和22年の空中写真から考えると、このあたりで線路脇に出てきて、線路に沿って写真左方向に回り込んだうえで線路を超えていたと思われる。
踏切跡2
同じ場所で左を見たのがこの写真。左の擁壁が曲がっているあたりが踏切だった可能性が高い。
となれば、昭和22年の空中写真で左側の踏切は、富士見台地下道のところにあった可能性が高いだろう。
碑
さて、旧富士見台地下道へ向かう道を高架に向かって下ると、「大野政吉顕彰碑」なる石碑があった。昭和44年(1969年)富士見台架道橋架設期成会なる銘が残る。
詳しいことはわからないが、この前後に線路を渡る道がなかったことから、架道橋を作るために地元運動があったようだ。
大野政吉なる人物については、練馬区勢概要に練馬区議会の5代目副議長として同姓同名の人物が見えるが、はたしてその人だろうか。
1961年
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)。前の地図から練馬高野台よりに進んだあたり。
ここも踏切の番号より地図上の踏切の方が数が多い。
富5?
富士見台ほんちょう通り商店街の西端。たばこ店のあるここは、前の地図右下にある太い道路の踏切とは微妙に位置が異なる。
全国Q地図の東京都3千分の1地図では、1963〜1964年版で旧踏切が廃止されており、奥へ向かう道路の新設に合わせて踏切が移動したようにも見える。
ここが富士見台4号踏切跡と思われ、ここから左(練馬高野台方)が1987年にこのあたりでは最初に立体化された部分にあたるはずだ。
旧4号?
2011/6/18に再訪。たばこ屋側から旧4号踏切があったと思われる方向を撮影。
痕跡らしきものはなくなってしまっている。
富5
2011/6/18の再訪で前回見落としていた富士見台5号踏切跡を発見。5号踏切は立体化工事の時点ですでに廃止されている。上の地図で細い道が線路を渡っている場所。
正面標識のあたり、左右に分かれた自転車置き場の間にある不自然なスペース(そこも自転車が置かれているが)が踏切だったのだろう。線路の向こう側も空間が空いている。
南側
南側に回ってみると、豆腐屋の左脇、駐車スペースになっているが、ここが踏切へ向かう道だったように思われる。
ところで、全国Q地図の東京都3千分の1では1965-1966年版まで5号踏切の西側にさらにもう一つ民家に向かう私道の踏切があったように描かれている。線路の北側にあった民家はマンションになっていて、南側にも道路の跡は残っていない。
富6
区立こぶし公園の南に位置するこの場所が富士見台6号踏切跡と思われる。
OSMその2
OpenStreetMapで環状8号線から石神井公園駅までを見る。
富7
富士見台7号踏切はこぶし公園の西側、現在は環状8号線の側道(おそらく写真右側)になっている位置にあった。
車両通行止めの踏切(富士見台10号踏切のような感じだったのだろう)だったようだが、資料によっては第4種踏切とある。こんなところに遮断機のない踏切があったのだろうか。
この写真は2011/6/18撮影。
富8
富士見台8号踏切は、昭和62年(1987年)に立体化された笹目通りのアンダーパスになっている場所にあった。
踏切?
全国Q地図の東京都3千分の1地図(1961〜1962年)
高架化が進み富士見台9号から11号までの3つの踏切は2011/4/16をもって廃止された。
右端が富士見台9号踏切、西武の「武」の字あたりが10号踏切、駅の東側が11号踏切だが、10号と11号の間にも道があるようなないような…
富9
2007/9/2撮影の富士見台9号踏切と、ロールアップで2018/6/17の姿。右手前の道路が高架の南側へ移設されたため、同じ位置での撮影は難しい。
富10
同じく2007/9/2撮影の富士見台10号踏切と、ロールアップで2018/6/17の姿。自動車が通れる道幅に拡幅された。
アプローチ
高架化工事のページ(2011年5月)でも紹介した富士見台10号と11号踏切の間にある路地。
2011/5/8撮影。
富10から
2007/10/28撮影。富士見台10号踏切南側から石神井公園駅方向。
写真左の土屋クリニックと、その先にある荻野眼科医院の間、日影が切れたあたりに畑のあぜ道のようなものがあったらしいのだが、この時点ですでに痕跡すら見いだせない。左側の道路もなくなっている。
線路側にはちょうど渡り線があった場所だが、写真ではわかりにくいかもしれない。
拡大
2007/11/18撮影。踏切があったとおぼしきあたりの拡大写真。標識と人が立っているあたりか?
南側
2007/10/28撮影。南側から見る。
架線柱のあたりが地図上は踏切らしき部分。北側には家並みの切れ目は見えるが、屋敷森のようになっていて踏切があったようには見えない。
南側
2011/5/8撮影。南側から見る。
標識の位置は同じと思われる。
高架化工事のページで紹介したように、昭和毎日で紹介されていた昭和31年(1956年)の地図(2019/9にサービス終了でリンク切れ)では、この場所に踏切が描かれていた。
同様に国土地理院Webサイトにある旧1万地形図「石神井」(昭和4年測量、同6年発行)などにも同じ位置に線路を渡る道路の記載があり、どうやらこれらの地図のソースは昭和4年測量の原図を元に作成されているようだ。
「地図情報ねりまっぷ」で見る昭和38年(1963年)の空中写真では、すでに線路脇に道路が出来、前の写真同様の位置に家と屋敷森がある。
昭和22年
さらに、国土地理院Webサイトで米軍撮影の昭和22年(1947年)の空中写真を見ても踏み跡が明らかな10号踏切と比べ、踏切らしきものの存在は確認できない。
はたして、この踏切は地図上だけの幻の存在だったのか、真相は依然不明なままだ。
富11
最後に2007/3/17撮影の富士見台11号踏切と、ロールアップで2018/6/17の姿。一車線分しかなかった踏切が、片道一車線に拡幅されている。
by Natrium