東久留米1号~5号踏切
OpenStreetMapで
東久留米駅~清瀬駅間を見る。
現在踏切としては1、3、4、5号の4つがあるが、清瀬駅手前の小金井街道が立体交差になる以前はもう一つあった。しかし、それ以外にも古地図や空中写真で踏切と思われる場所が複数あるため、それも含めて見ていこう。
通称「大踏切」と呼ばれている東久留米1号踏切。駅北側を走る都道234号前沢保谷線が西武池袋線を渡る踏切で、かなりの交通量がある。
高橋留美子の漫画「めぞん一刻」の有名なシーンで舞台となっていたという説がある踏切。
このページの写真は2023/8/28撮影。
しかし、駅西口にいたのはブラックジャックであった。東久留米市には作者の手塚治虫が晩年住んでいたという。
国土地理院Webサイトから
昭和30年の空中写真(米軍撮影)を見る。
東久留米2号踏切は現存しておらず、古地図や空中写真から見ると候補地としては2ヶ所考えられる。
全国Q地図で参照できる
東京都3千分の1地図では黒目川寄りに線路を渡る道路が描かれているのだが、このあたりには黒目川を渡る築堤があって線路と高低差があり西側が私道になっていて踏切らしき痕跡は見当たらない。
一方、
今昔マップで見ると都道北側に並行する古道があり、鉄道開通後も道路があるように見える。空中写真でもこの場所には架線柱とは別に踏切が線路を渡っているように見える。
なお、古道については「多摩地形図:1942(昭和17)-44(同19)年/清水靖夫編、発行:之潮2004」の地図でも確認できた。
古道は現在でもほぼそのまま残っているので、西側から回り込んでみると線路に向かって使用されていない未舗装路が残っている。どうやらこちらが東久留米2号踏切である可能性が高そうだ。
東側から見たところ。こちらには踏切らしき痕跡は特に残っていない。
黒目川を渡って清瀬方向へ。線路西側の崖上には縄文時代の住居跡を復元した小山台遺跡公園があるが、公園北側出口のすぐ傍に線路に向かって伸びる行き止まりの道がある。線路は築堤の下に切り通しで通っていて大きな高低差があるためここが踏切であった可能性は低いが、今昔マップや多摩地形図ではここと、写真右側の公園へ向かう通路の先に線路の位置を跨ぐ小道が描かれている。
おそらくは、線路が作られる前にはここに古道があったものと思われる。
さきほどの写真を左へ進んでいくと、小山緑地保全地域の中に小山茶園という茶畑がある。かつて東久留米ではお茶の栽培が行われていたというが、現在はここ以外ではほとんどなくなってしまったそうだ。地元市民が「小山茶園サポーターズクラブ」を作って管理をしているという。
線路脇に道路はなく、しばらく北へ進んでいくと唐突に線路に向かう道路と東久留米3号踏切が現れる。
そこからすぐ近く。西側から線路に向かって伸びる細道が残っている。東側に道はないが、今昔マップでは道が描かれており、古道の名残と思われる。全国Q地図でも踏切としては確認できない。
野火止用水に沿って新座市が西へ張り出した部分を通る水道道路。このあたりでは道路南側に用水路が復元されている。
水道道路が西武池袋線を渡る東久留米4号踏切を東側から見たところ。
水道道路の北側には、並走する新堀茜通りが西武池袋線を渡る東久留米5号踏切がある。
再び国土地理院Webサイトから昭和30年の空中写真。
番号がついた踏切としてはさきほどの5号が最後なのだが、全国Q地図で
東京都3千分の1地図を見ると西武池袋線が清瀬駅に向かって西へカーブしていくところに3ヶ所、旧踏切と思われる場所がある。
東久留米5号踏切北側に記載のある道路は現在存在しておらず。踏切かもしれない位置も民家の敷地内にあるため痕跡についてはわからない。さらに進んで清瀬駅の側線が突き当たる場所を東側から見ると、踏切があってもおかしくない感じのアプローチが残っている。
そこから清瀬駅方向の側線を見てみる。架線がなく現在は使用されていないように見えるが、保線用として使われているのかもしれない。
踏切跡とおぼしき地点を通過していく急行飯能行きの6157F。全国Q地図では1969〜70年(昭和44〜45年)のものに踏切として描かれていることから、2つの踏切のいずれかが東久留米6号踏切だった可能性はある。
さて、清瀬駅近くを通る新小金井街道は2009年(平成21年)に開通したアンダーパス「清瀬立体」で西武池袋線をくぐっているが、その脇には2021年(令和3年)まで使われていた新堀歩道橋がある。新堀歩道橋は1974年(昭和49年)に設置されており、それまでは少し北側を踏切で渡っていた。
清瀬立体の東久留米寄りには、かつての踏切跡と思われる空間が残っている。ここが東久留米6号踏切だったのか、7号だったのか、8号だったのかは資料が見つかっていないため不明だが、さきほどの2つとは違い踏切があったことは確実だ。
駅ロータリーを跨いで西友とつながる歩道橋(ペデストリアンデッキ)が目立つ清瀬駅北口。駅舎が橋上になったのは1971年(昭和46年)という。