保谷1号〜11号踏切
国土地理院Webサイトから
昭和36年の空中写真(国土地理院撮影)を見る。
このころはまだ保谷2号踏切があるが、現在は跨線橋になっているところ。
保谷5号踏切の西側に、6号踏切がある。その西側は、道が線路を跨いでいないようだ。
南口ロータリーの工事が進む保谷駅。交番も新しい場所に移転し、あとは地上部分の整備が進むのを待つばかり。
保谷6号踏切までの写真は2011/8/17撮影。
保谷電留線の中央を南北に渡る保谷1号踏切。結構通行量が多いのに、片側交互通行で踏切内でのすれちがいが出来ないという狭さ。
左には、かつて踏切保安係がいたのかもしれない詰所らしき建屋がある。
保谷駅前で線路の南側を平行に走る都道233号が大きく南に折れる場所で、北側に行き止まりの道がある。
これが、かつて保谷2号踏切だった場所。
線路脇まで道路が残っている南側と比べ、北側は道路が封鎖されており、踏切だった面影はない。
保谷電留線の西端にある保谷3号踏切。
大型車通行禁止だが、ここも両方向通行だ。
保谷4号踏切は歩行者専用。
「☆のある町 秩父 長瀞」ラッピングのレッドアローを見送る。
2015/3/19に調布保谷線(都道234号の新道「伏見通り」)が開通したことにより保谷5号踏切は廃止となった。左の写真左側が旧都道234号が直進していた頃の踏切跡(跡形もないが)で、右側は新道の工事中に迂回路として使用されていた仮踏切の跡。
この写真は2015/3/22撮影。
保谷5号踏切のすぐ西側、工事現場脇の不自然な路地の奥、草むらになっている場所の先にあったのが保谷6号踏切らしい。
北側は道路が突き当たって左に折れる場所になっている。かつては、ここでまっすぐ線路を渡っていたようだ。
その路地を振り返って北へ進むと、線路に向かって右に分かれる農道のような細道がある。西東京市によれば、右の道路は市道1118号線として指定されているそうだ。
上の地図では、この道の先に踏切があったように書かれている。
線路の南側には住宅地の路地があり、昭和22年ごろまでは線路を渡っていたのかもしれないが、踏切があったとは言いにくい状態だった。
保谷7号踏切から11号踏切までの
現在の地図。
後半は後日再訪した。
だいぶ間があいてしまったが、まずは前回訪問した保谷6号踏切跡西側の農道(一応市道)を南側に回ってみたところ。
住宅地に行き止まりの道(西東京市市道1262号線)があり、南北で対にはなっている。
ここからの写真は2011/12/10撮影。
南側から保谷7号踏切に向かうには、都立保谷高校の広い敷地を大きく迂回しなければならない。
行き着くのは車両通行止めの保谷7号踏切。
ここから池袋方向は電車の撮影スポットとして知られていて、この日も撮影している人がいたので邪魔にならないよう一枚。
すぐ西側には保谷8号踏切がある。
狭い踏切だが相互通行可能。
保谷9号踏切へ向かう北側の道で、水路敷に出会う。
白子川の支流(大泉堀とも呼ばれる)で、このまま進むと保谷10号踏切のそばにある上流端まで暗渠が続いている。
大泉堀を進んで保谷9号踏切へ。
線路部分がかなり高くなっている。
都道36号保谷志木線にぶつかるここが大泉堀の上流端。ここから先線路を南に超えていたらしいのだが、痕跡はない。
さて、保谷11号踏切で終わりかというところだが、実は国土地理院Webサイトの
昭和22年の空中写真(米軍撮影)には、見分けづらいがあと二つ踏切らしきものが写っている。
まず保谷11号踏切のすぐ西側にあったらしい場所。
だが、これはどう見ても踏切跡には見えない。北側にも痕跡はなく、跡形はなくなっているようだ。
ひばりヶ丘駅のホーム延長で廃止されたと思われる踏切跡。
かつては保谷12号踏切だったのかもしれない。昭和38年の空中写真を見ると、当時はホーム延長に伴って正面の位置ではなく写真左斜め奥の行き止まりへ移動していたらしい。