東長崎1号~8号踏切
OpenStreetMapで
東長崎駅~江古田駅間を見る。
現存するのは1、3、4、5、7、8号の6踏切だが、廃止された2、6号のほかにも、踏切らしき場所が結構たくさんある。
現役の東長崎1号踏切。しょっぱなから結構狭い。踏切の符号は「東」ではなく「長」となっている。
このページの写真はいずれも2011/7/23撮影。
長1踏切の少し西、雪印アイスクリームのケースが置いてある廃店舗の奥が東長崎2号踏切跡と思われる。
踏切跡の向こうまで直線道路が続く場所。
さらにその西。現在はつきあたりが長崎五丁目町会の倉庫、右に折れて千川通り地下道へ入る場所も、番号はないが踏切だったのだろう。
このあたりでは最も規模の大きい現役の東長崎3号踏切。中野通りがここで西武池袋線を渡るが、拡幅工事が中途になっているため渋滞も多い場所。
ここで千川上水も西武池袋線を渡る。
長3の西側、豊島区と練馬区の境界がここ(正確には撮影している立ち位置の右あたりが区界)。この区界は、もともとは石神井川の支流にあたるエンガ堀だった水路敷の細道だが、エンガ堀はここで線路を渡っていた。
向こう側には、踏切跡で見かける「線路内立入禁止」の看板が立っている空き地があるが、踏切ではなかったようだ。
日本通運江古田流通センター東側にある現役の東長崎4号踏切。
日通のある場所は、かつて西武農業鉄道の西武市場(せいぶいちば)駅だった場所。
というわけでこのあたりが西武市場駅跡。戦時中の昭和20年(1945年)に開業した際は長江駅と名乗っていたこの駅は、多摩地区に向かっていわゆる「下肥」を輸送するための積み込み場所として設けられた経緯がある。1953年には輸送の廃止に伴って西武市場駅に改称され、貨物駅として運用されていたが、1963年に廃止となっている。
国土地理院Webサイトから
昭和31年、西武市場駅周辺の空中写真(米軍撮影)。貨車らしきものが側線に停車しているように見える。(ロールアップは
昭和22年の空中写真(米軍撮影)。
「写真で見る西武鉄道100年」(ネコ・パブリッシング刊, 2013)には昭和30年(1955年)の線路一般略図には分岐の表記はないと書かれているが、空中写真を見る限り昭和31年(1956年)時点でも線路は繋がっていたように見える。
日通の西側、西武鉄道長崎変電所のある場所にも、かつては踏切があったようだ。ピンクの家が目印(笑)
ちょうどこのあたりが西武市場駅へ分岐する側線のあったあたりと思われる。
長5踏切の北西側の路地。東西を結ぶ区道22-267号線として地図上は道路が線路を跨いでいるが、実際には壁で行き止まり。
線路の反対側にも道はあり、区道に指定されていることを考えても踏切だった可能性はある。
前の写真の突き当たりまで行ったところ。写真右側は私有地ということになっているが、練馬区によれば右側に区道15-307号線が指定されており、駐車場の向こうで線路を渡っているように描かれている。線路の向こう側には道路もあり、昭和34年の地図では踏切だったように描かれている。
練馬区の区道の現況で、東長崎5号踏切と7号踏切の間を拡大してみたところ。
5号踏切から北へ3本の道路が東西から線路に突き当たっているが、そのうち南側の2本は線路をまたいで区道として指定されている。
東長崎7号踏切の東側には、この写真の場所まで線路の両脇に線路敷を使った道路がつながっている。
古地図で確認して古、この場所にあったのが東長崎6号踏切と思われる。
橋上駅の工事も終盤になっている江古田駅東側の東長崎8号踏切。