恋ヶ窪1号〜6号踏切
恋ヶ窪駅から探索を開始。私鉄で「窪」の字がつく駅は戦後の開業では東京都内でここだけなのだそうだ。
低湿地をイメージさせる窪の字は不動産開発を行う私鉄ではあまり歓迎されなかったようだが、駅舎のある場所の地名である戸倉ではなく、隣接する恋ヶ窪の名前を駅名にわざわざ選んだのは「恋」の字のインパクトが強かったためかもしれない。
このページの写真はすべて2023/11/19撮影。
熊野神社通りから五日市街道まで建設中の新府中街道は西武国分寺線をアンダーパスでくぐっていく予定になっている。
新府中街道の工事現場を通り過ぎてすぐ、写真中央あたりにさきほどの東京都3千分の1地図(1965〜1966年)で踏切が描かれている。
かつては畑の区割りを斜めに横切るように線路が敷設されていたようだが、現在線路の東側は国分寺市プレイステーションという施設になっており、痕跡は残っていない。
プレイステーションの北側で戸倉通りが渡る恋ヶ窪2号踏切。
五日市街道が渡る恋ヶ窪3号踏切。新府中街道の建設に合わせて五日市街道も拡幅工事が進んでいるが、踏切付近では工事は行われていないようだ。
恋ヶ窪3号踏切の北側には、五日市街道に並走する榎戸北用水開渠の看板がある。榎戸用水は玉川上水の分水で、南野中新田分水、榎戸分水、砂川用水など流域で様々な呼び名がある。北側の用水は現在では枯れてしまっているようだ。
踏切南側にはもう一本、榎戸南用水の開渠がある。こちらも枯れてしまっているが、砂川用水としてはこの流れを指しているようだ。
野中新田と榎戸新田はいずれも国分寺市の大字で、このあたりでは畑の区割りに沿って南北に長く並んだ二つの大字が交互に錯綜していた。
踏切の西側、五日市街道から少し南に入ったところに残る素掘りの用水路。
線路西側の住宅地から西武国分寺線を見る。写真中央の架線柱あたりに恋ヶ窪4号踏切があったと思われるのだが、線路東西とも宅地化で道筋が変わっているため痕跡は残っていない。
住宅地の北側まで回って線路の南方向を見る。線路脇の道路がなく痕跡はないが、手前の架線柱と木立の間あたりに恋ヶ窪5号踏切があったと思われる。
踏切から鷹の台駅方向を見る。写真手前に玉川上水橋梁があり、奥にはもう一つ、新堀用水(玉川分水開渠)が流れている。
このあたりの玉川上水は素掘りの堀割りになっている。
玉川上水の北側を並走する新堀用水は玉川上水のあちこちに設けられていた分水口を統合するために明治3年に設けられた新しい分水で、野火止用水より下流側にある北側の分水路はこの新堀用水から分水されている。
写真右側に新堀用水が見えるが左側の行き止まりは旧道のあとで、ここには旧恋ヶ窪6号踏切があったらしい。