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国分寺1号〜6号踏切
地図その1
国分寺駅から武蔵野線付近までの地図をみる。
西武国分寺線は野川源流部にある日立製作所中央研究所の敷地西側を通り、西寄りのルートで東村山へ向かっていく。
花沢橋
花沢通りが西武国分寺線とJR中央線を越える花沢橋から野川上流端方向を見る。
国分寺駅は多摩川が武蔵野台地を侵食してできた斜面である国分寺崖線(がいせん)の縁にあり、崖線の下を流れる野川の源流は写真右側(線路北側)の日立製作所中央研究所内の大池とされている。 このページの写真はすべて2023/11/19撮影。
大池
線路脇の遊歩道を通り、野川源流部の谷を過ぎて振り返って国分寺駅方向。大池はフェンスに囲まれていて見ることができない。
架道橋
遊歩道は大池の西側でJRと別れた国分寺線をくぐっていく。このあたりは大池上流側の谷筋になっていて、その先には姿見の池があるのでそちらに寄り道してみよう。
梯子型開渠
姿見の池から大池に向かって2本の水路敷があるが、南側の崖下には梯子型開渠も残っており、水が流れる現役の水路であることがわかる。写真は大池方向に見たところ。
橋跡
北側の水路敷は埋め立てられているが、姿見の池手前で道路を渡るところには北側半分だけ橋の跡が残っている。
姿見の池
姿見の池は東山道武蔵路や鎌倉街道上道の宿場町であったこのあたりの遊女たちが姿を映したことからその名がついたというが、池自体は宅地開発でいったん埋められてしまい現在の池は復元されたものだという。
源平合戦の頃、傾城(けいせい)の夙妻(あさづま)太夫が武将・畠山重忠が討死したという嘘を信じ、悲しみのあまり池に身を投げたという恋ヶ窪の名前の由来の一つともされる伝説が残る。
谷筋はさらに熊野神社の方へ続いているのだが、ここまでとして西武国分寺線に戻るとしよう。
羽根沢信号所
さきほどの架道橋から北へ向かったところにある羽根沢信号所。国分寺駅から単線であった線路をはここから恋ヶ窪駅まで複線となっている。上下線の交換用として設けられている区間だが、日中10分おきの発着となっているためここでの交換を見ることは難しそうだ。
国1
熊野神社通りが線路を渡る国分寺1号踏切。
熊野神社
通りの名前にもなっている熊野神社は国分寺1号踏切から西へ向かってすぐのところにある。創建は不明だが、鎌倉幕府滅亡につながる新田義貞の戦で消失したという伝承が残る。
道路予定地
熊野神社西側で熊野神社通りは途切れているのだが、西武国分寺線を越える部分を含め写真奥の武蔵野線手前までの未成区間はすでに国分寺3・4・6号小金井国分寺線として用地確保が進んでおり、完成すれば国分寺1号踏切は廃止される予定となっている。
立体交差予定地
少し戻って西武国分寺線との立体交差予定地も見ておく。
恋ヶ窪分水
一方、熊野神社の北には国分寺市重要史跡の恋ヶ窪分水が空堀の状態で保存されている。写真左側の道路は旧鎌倉街道だそうだ。
国2
その旧鎌倉街道を北へ向かって、線路に突き当たったところが廃止された国分寺2号踏切の跡。
国3
そのすぐ隣、府中街道が線路を渡る国分寺3号踏切。歩道橋は線路を渡るのではなく、交通量が多い府中街道を渡るためのものだ。
国4?
武蔵野線が西武国分寺線の下をくぐっている地点。全国Q地図の東京都3千分の1地図(1967年)では写真のあたりに国分寺4号踏切があったことになっているのだが、武蔵野線敷設で地形が変わってしまい痕跡は残っていない。
小平トンネル
武蔵野線の小平トンネル脇から踏切跡を見る。元は写真左から来た道路が武蔵野線の東側につながっていて、そこから線路に向かって踏切への道があったらしい。
国5
武蔵野線から北へ進んだところで線路に向かって行き止まりになっている道が国分寺5号踏切の跡。
地図その2
OpenStreetMapで国分寺5号踏切跡からの地図を見る。
国6
恋ヶ窪駅南側の国分寺6号踏切。写真奥には国分寺市役所が見える。手前の駅舎にはうっすら「たくぎん」と書かれた跡が残っているが、北海道拓殖銀行はバブル崩壊後の1997年(平成9年)に都市銀行としては初の経営破綻となり、国分寺支店は1998年(平成10年)に中央信託銀行(中央三井信託銀行、現在は三井住友信託銀行)へ営業譲渡されたが、2004年(平成16年)に閉店している。
駅スタンプ
駅名に恋がつくのは全国でも4つしかないそうだが、恋ヶ窪駅の駅スタンプはハートをあしらったファンシーなものだった。
ハートの吊り革は現在でも国分寺線を走る電車に一ヶ所だけ実在するそうだが、実際に見たことはない。
by Natrium