安比奈線跡(南大塚1号〜11号踏切)
OpenStreetMapで
南大塚駅から入間川へ向かう安比奈(あひな)線の跡を見る。
安比奈線は大正14年(1925年)に入間川の砂利を運搬するため開業した西武新宿線の貨物支線であったが、川砂利の採掘が禁止される前年の昭和38年(1963年)に事実上休止となり、その後長らく放置されていた。
その後1993年に西武新宿線複々線化(実現せず)に伴う安比奈車両基地整備事業が計画され環境影響評価が実施されており、さらに旅客化などの計画もあったものの2016年に車両基地計画は中止、安比奈線も最終的に2017年をもって正式廃止となっている。
鉄道ピクトリアル2002年4月増刊号P138の記事によれば安比奈線には現存する踏切が11号まで、番号としては18号まであったといい、埼玉県警察本部の昭和43年(1968年)交通年鑑によれば第3種踏切が1、第4種踏切が13となっている。1993年の西武鉄道環境影響評価書に記載されている地図に1号〜11号踏切の位置が記載されていることが確認できたので、全体の記載を見直し、車両基地計画地を含め現地再確認を行なった。
なお、「安比奈」の読み方については地元川越市の地名「安比奈新田」は「あいなしんでん」と読むが、西武鉄道では「あひなせん」としているようだ。
(以下参考文献)
・
西武鉄道プレスリリース:安比奈線の鉄道事業の廃止について
・「写真で見る西武鉄道100年」(ネコ・パブリッシング発行, 2013)
・鉄道ピクトリアル2002年4月増刊号【特集】西武鉄道(鉄道図書刊行会発行, 2002)
・国会図書館所蔵「交通年鑑 昭和43年」(埼玉県警察本部発行, 1968)
・埼玉県立文書館所蔵 埼玉県撮影空中写真
・埼玉県立熊谷図書館所蔵「安比奈車両基地整備事業に係る環境影響評価書」(西武鉄道発行, 1993)
・「田面沢停車場研究における入間川川越市内流域での川砂利採取及び鉄道による砂利輸送の各資料集成並びに独自調査研究発表誌:安比奈埼玉県営 増補版」(TJ1914著, 2021)
南大塚駅の新狭山方にある狭山市23号踏切。複線の西武新宿線の向こうにアスファルト舗装で埋められた安比奈線の線路跡が残っている。
ここからの写真は2024/4/28撮影。
南大塚駅下りホームから安比奈方向へ線路跡を見たところ。矢印のあたりに安比奈線のゼロキロポストがあったそうだが、正式廃止後に撤去されている。
南大塚駅は昭和55年(1980年)に現在の位置に移ってきており、それまでは100m程本川越寄り、安比奈線が分かれていく向こう側にあった。
橋上駅舎となっている南大塚駅の改札内に西武鉄道工務部の若手社員の発案で2024/2に誕生したという安比奈線メモリアルコーナーがある。床には路線図が描かれ、壁面には現役当時の安比奈線の写真が飾られている。
ここからの写真は2024/5/3撮影。
南大塚駅下りホームから安比奈線跡を見る。写真の塗りつぶしたあたりに踏切があったことは埼玉県撮影の空中写真でも確認することができ、西武鉄道資料によればここが安比奈線の南大塚1号踏切ということになっている。
ただし1993年に環境影響評価書が作成された時点では踏切が残っていたと思われるが、1999年までに道路が北側(現在の道路)に付け替えられたとされているため、鉄道ピクトリアルの記事にある2000年時点に踏切として残っていたかには疑問が残る。
下りホームから安比奈方向へ分岐していく安比奈線を見る。駅近くの南大塚2号踏切跡とその前後にはまだ線路が残っているが、写真左奥に残っていた線路などは撤去されたそうだ。
正式廃止前には安比奈線全体に渡って架線柱や架線が残されている部分も多くあったそうだが、それらも正式廃止後に撤去されている。
安比奈車両基地計画では、踏切の先から堀割りを作って路盤を下げ、この先の国道16号線をアンダーパスでくぐることになっていた。
ここからの写真は2024/4/28撮影。
駅から出て南大塚2号踏切跡から南大塚駅を見る。
積み上がった枕木の手前まで線路が残っているが、この踏切実はあとから1999年に作られたもので設置当初から線路はつながっていなかったという。
国道16号と交差する南大塚3号踏切跡。歩道部分には線路が残っており、車道部分も線路の上から舗装しているように見える。
この踏切は1968年度の交通年鑑では第3種(警報機はあるが遮断機はない)と記録されているが、休止前は第1種(遮断機がある)だったらしい。
安比奈車両基地計画ではここから先をトンネルとし、南大塚6号踏切手前で出てくることになっていた。
国道16号のすぐ北側にある踏切跡は西武鉄道資料に記載がない。
車両通行止めだが歩行者が渡る部分には線路が残っている。
踏切跡の脇に焼だんご屋がある南大塚4号踏切跡。
入間川街道を通る自動車はここが踏切であったことに気がついていないように徐行もせず通り抜けていた。
南大塚5号踏切跡から南大塚方向を見たところ。道路の先ではレールが取り外され、2つ並べて置かれていた。
踏切跡の安比奈方向には線路がそのまま残されていた。ここから先には赤間川橋梁、葛川橋梁と呼ばれる2つの川を渡る橋梁があるが、近くに寄れる道路がないため大きく迂回せざるをえない。
西側の道路から2つの橋梁を見る。左(安比奈寄り)の葛川橋梁はしっかりした作りでそのままの形をとどめているように見えるが、右(南大塚寄り)の赤間川橋梁は華奢な作りで原型をとどめているのか怪しいように見えた。
安比奈車両基地計画では、赤間川と葛川の下をトンネルで抜けることになっていた。
南大塚6号踏切跡から南大塚方向を見る。
踏切部分を除いて線路のレールは取り外されているか草むらに埋もれてしまっているが、葛川橋梁に向かう築堤の形はそのまま残っているのがわかる。
安比奈車両基地計画では踏切を安比奈寄りに付け替え、この辺りで堀割りから高架線へ切り替える予定であった。ここから車両基地までは高架で既存道路を跨いでいくことになっていた。
踏切跡の北側。用水路を渡る橋梁(名称不明)は橋台とレールだけが取り残されていた。
南大塚7号踏切跡から南大塚方向を見る。
用水路を渡る長瀞川橋梁には朽ちた枕木が残ったままで、その先では線路の撤去が途中まで進んでいた様子が見える。
東側から踏切跡を見る。ここにもしっかりと線路は残されていた。
そこから安比奈方に進んだところに線路を渡る小道があるのだが、その先は民家になっている。
埼玉県立文書館で公開されている空中写真でも常に踏切として見え、西武鉄道資料ではここが南大塚8号踏切となっている。
畑の間を抜ける線路敷は白い支柱でその境目を表現していた。
その途中に、線路敷と直交するように支柱は置かれている場所がある。踏切のように見えなくもないが前後に道路はなく、畑へ行く勝手踏切のようにも見える。
南大塚9号踏切跡から安比奈方向を見る。ここから次の踏切までは道路が線路敷と並行して進んでいく。
途中、用水路(おそらくは西ノ谷堀溝渠)を渡る崩壊した橋梁が…
線路敷を渡る民家の板。これは休止後に架けられたものと見える。
安比奈車両基地計画ではこのあたりの高架上に信号所が設けられ、上下線の交換ができるようになる予定であった。
元々は手前側(安比奈寄り)だけの狭い踏切だったようで、南大塚寄りにはガードレールが設置されていない。
踏切跡から安比奈方を見る。ここから線路は雑木林の中に入っていく。かつては雑木林の中に入っていくとができたそうだが、現在は立入禁止となっている。
雑木林の西側を抜けている道路(利用者が少ないようで廃道になりかけていたが)から、雑木林の中を通る線路が見えるポイントがあった。
安比奈車両基地計画では、このあたりまでは安比奈線をそのまま利用する形になっているが、雑木林の中で安比奈線と別れ徐々に南寄りに曲がっていく予定であった。
雑木林を抜けて埼玉県道114号川越越生線の八潮大橋南交差点から東寄りに進んだところで築堤が道路(こちらも土手の上を走っていた)に向かってくる。この道路では線路は完全に撤去されてしまっているようで、南大塚11号踏切の痕跡は見当たらない。
立入禁止看板の向こうには線路が残っていたようだが、草むらに隠れて確認することは難しい。
道路北側には池辺(いけのべ)用水橋梁が残っている。この橋梁はNHKの連続テレビ小説「つばさ」のロケ地になったことから観光用に補強整備されたもので、整備前は柵はついていなかったという。
池辺用水橋梁の先に線路に沿って進む道路はないため、いったん北側にある池辺公園の方へ迂回して旧踏切へ向かう道を探していく。
比較的踏み跡がしっかりした道を進んでいくとロープが貼られた踏切跡に出会う。左右にも線路が残っており、このあたりでは線路の撤去は行われていないようだ。
ここからの写真は2024/5/3撮影。
次の旧踏切へ向かう道は少し薮になりかけていた。踏切跡から南大塚方向を見ると、線路は藪に飲み込まれているがその両脇に線路敷を示す柵が残っているのがわかる。
反対側の安比奈方向はかろうじて線路が見える。直進していく線路は奥の方に見える埼玉県道114号に突き当たってしまい途切れているはずだ。
ここよりも南側の車両基地計画線は、高架で県道を越える予定であった。
県道の西側に突き当たる線路敷と思われる柵。空中写真との整合性から考えるともう少し南側のような気もするが…
県道の西側。写真奥に左右(東西)に並んだ木立のあたりが安比奈線と思われる。写真左(南)の方へ向かおうとするも藪に阻まれて断念せざるを得なかったが、県道の西側脇のあたりにも旧踏切があったはずだ。
県道114号を大きく入間川よりに迂回し、西側のナショナルパーク川越まできて県道方向を見る。並木の脇に線路が残っているのがかろうじてわかる。
そこから振り返って西向き。写真奥の入間川水道橋に向かって線路が伸びている。
水道橋の手前まで行ってみると、草むらに埋もれたポイントが残っていた。この辺りから西側が安比奈駅構内と思われる。
国土地理院Webサイトから
昭和36年(1961年)空中写真(国土地理院撮影)を見る。
安比奈線としては駅までで終わりなはずなのだが、空中写真ではその先の入間川沿いに貨車が留置されているように見える。この部分は復興社(現在のSKマテリアル)の安比奈砂利軌道があり、入間川から砂利を安比奈駅まで運んでいたという。
ナショナルパークから再び北へ大きく迂回して安比奈駅前へ至る。写真奥の行き止まりの道が旧道で前の写真では駅北側を通っていたようだが、現在の道(といっても未舗装のダート)はやや南側の駅構内を通っている。
ここからの写真は2024/4/28撮影。
近辺をうろいていたら地元の方に線路跡が残っていると教えていただいた。さきほどの駅前とは道路を挟んで東側の窪み、草むらの中にわずかに線路が見えている。どうやら道路は線路の上に盛り土されているようだ。
道路を西へ進んでいくと右(北)側にコンクリート構造物が現れる。橋台なのか、車止めなのか、そもそも駅の遺構なのかもわからない。
かつてはこの辺りに架線柱が残っていたり、線路が見えたりしたようだが架線柱が撤去されてしまったためどこが線路なのかはわからなくなってしまっている。
安比奈駅の末端部があったであろう場所で振り返って東を見たところ。
道路の右(南)側はダートコースになっていて、オフロードバイクやジープが走り回っていた。コース内にはところどころ線路が見られる場所もあるというが、危険なので立ち入るのはやめておいた。
安比奈駅を抜け砂利軌道線の方へ。ダートコースの間を南北に抜ける道の入口付近に東へ向かって線路とポイントが残っていた。このあたりからが砂利軌道の貨車ヤードになっていたのではないかと思われる。
ここからの写真は2024/5/3撮影。
道路上にかろうじて線路が残っているのが確認できた。
砂利軌道線終端部付近から入間川を見る。写真奥には左岸側の西武文理大学キャンパスが見える。
最後に安比奈車両基地計画にかかわる部分を見ておこう。
SKマテリアル安比奈工場敷地の東端を通る道路の東側に柵で仕切られた空間が県道114方向へ伸びている。おそらくはこれが安比奈車両基地につながる計画線の跡地で、測量と用地確保までは進んでいたのではないかと思わせる。
写真左手前にある杭には、西武マークが入っていた。
車両基地計画地の北側を走る道路を西へ向かうと、川越市大東グラウンドがある。2023/7にオープンしたばかりの新しい施設で、野球やサッカーができる大きなフィールドと、南側には調整池に隣接したBMX・スケートボードエリアがある。
車両基地計画地の西端から東を見たところ。このあたりはエースコックの工場建築計画看板が立っており、車両基地の整備計画廃止が発表された2016年から8年が過ぎ徐々に土地利用が進んできているようだ。