花小金井1号~7号踏切
OpenStreetMapで
花小金井駅から小平グリーンロード立体までを見る。
西武新宿線は多摩湖自転車歩行者道と名付けられた都道253号保谷狭山自然公園自転車道線と並行して進んでいるが、それもあるのか線路脇に道路があまりないので、歩行者道と踏切を行ったり来たりすることになった。
花小金井駅西側、都道15号(小金井街道)が渡る花小金井1号踏切。車道の左右にある歩道にもそれぞれ踏切の遮断棹が設置されている大きな踏切だ。
ここからの写真は2023/10/6撮影。
少し戻って花小金井駅前の多摩湖自転車歩行者道を多摩湖方向へ見たところ。片側一車線の自転車道と、その脇に遊歩道が設置されている。もともともは多摩湖近くの東村山浄水場から武蔵野市の境浄水場を結ぶ水道道路を利用したもので、ひたすら一直線に進むのが特徴だ。
花小金井1号踏切のすぐ西側、都営住宅の裏手に線路北側の東部公園へ渡る歩道橋があるのだが、全国Q地図の
東京都3千分の1地図(1952〜1958年)では、踏切として描かれている。
踏切番号がつけられる前に廃止された踏切の跡ということになるだろう。
この写真は2023/10/8撮影。
しばらく西へ進み、野中通りが渡る花小金井2号踏切へ至る。この踏切は二輪車まで通行できるが、自動車が通行止めとなっている。
ここからの写真は2023/10/6撮影。
このあたりの西武新宿線は基本的に多摩湖自転車歩行者道に沿ってまっすぐ西へ向かっているのだが、花小金井2号踏切の西側では地形か用地の関係なのか、青梅街道を軸にゆるやかなS字カーブを描いている。
青梅街道へ向かう途中で、野中用水が自転車歩行者道を斜めに横切っていく。野中用水は、玉川上水から新堀用水、鈴木用水、大沼田用水と来て分水されたもので、青梅街道の南側に沿って東へ向かっている。
小平市はそもそも明暦2年(1656年)に小川九郎兵衛の主導で開発された小川村を西側に、その後の享保年間(1716〜1736年)から文化11年(1814年)にかけて開発された新田7か村から構成されており、野中用水のあたりは享保17年(1732年)に開発した当時の名主の名前をとって北側が野中新田与右衛門組、南側が野中新田善左衛門組という地名になっていた(実際には地名は開発した場所に合わせて飛地があるなどかなり入り組んでいる)。善左衛門の苗字が野中だったといい、
小平市史によれば野中善左衛門は上総国万石村(現在の千葉県木更津市北部)出身という。一方の与右衛門(元は源右衛門を名乗っていた)は江戸牛込榎町出身とされる。
北側には錆びついてしまいほとんど読めない看板があった。
「花小金井桜並木について」とあり、昭和56年(1981年)4月に植樹されたという記載だった。
青梅街道が渡る花小金井4号踏切。写真には写っていないが青梅街道北側には小平市を含む多摩地域7市で構成される一部事業組合が運営する公立昭和病院がある。
昭和病院脇の六中通りを通り、西へ進んだところにある線路両側の草むらが東小平駅の跡。東小平駅は、昭和病院への利便性を高めるため昭和15年(1940年)に開設されたが、下り線には貨物側線を備え、西武池袋線の旧長江駅(旧西武市場駅)と同様に「下肥」の輸送拠点になっていた。昭和28年(1953年)の貨物営業廃止後、昭和29年(1954年)に廃止されている。
花小金井4号踏切から西へ。東小平駅跡の少し西側に
小平ふるさと村がある。小平ふるさと村は新田開発が行われた江戸時代から明治の農家などを移築、復元した施設で、多摩地区の昔の暮らしを垣間見ることができる。
小平ふるさと村の西側に、青梅街道から北へ向かい自転車歩行者道を横断する幅の広い道路があり、西武新宿線に突き当たって終わっている。
写真左は現在霊園の入り口として使われているが、正面の突き当たりが番号のない踏切跡。全国Q地図の東京都3千分の1地図では
1969〜1970年版まで踏切として描かれている。
この写真は2023/10/14撮影。
さらに西側、新小金井街道は小平グリーンロード立体と名付けられたアンダーパスで西武新宿線をくぐっている。ここには元々踏切はなかったと思っていたのだが、全国Q地図の東京都3千分の1地図で
1965〜1966年版までは踏切があるように描かれている。
ここからの写真は2023/10/6撮影。
花小金井5号踏切は都営大沼町一丁目アパートに向かって突き当たる道になっている。
全国Q地図の
東京都3千分の1地図(1967年)ではこの踏切はいったん廃止されているように描かれているが、国土地理院Webサイトの
昭和50年(1975年)の空中写真(国土地理院撮影)でも5号の位置に踏切はない。
平成13年(2001年)でもまだ線路北側は開発中で、平成20年(2008年)でようやく踏切が確認できるので、現在の踏切はあらためて新規に設置されたもののようだ。平成になってからの踏切の新設は珍しかったのではないかと思うが、西側の6号(もしくはこのときには5号を名乗っていた可能性がある)から位置変更ということで進められたのかもしれない。
花小金井6号踏切は、アパートの前を西へ向かう道路の先にあった。元々この道路は線路を跨いで西側へ続いていたが、踏切は角度がありすぎたのか少し南へ道を曲げる形で線路を跨いでいた。
それでも線路を渡る角度が斜めすぎたのか、写真の駐車車両左側に線路と直行するように付け替えられたようだ。いずれにせよ、後から新設された5号踏切に切り替えられ、6号踏切は廃止されている。
小平駅手前で回田(めぐりた)道が渡る花小金井7号踏切。
番号の付いている踏切はさきほどの花小金井7号踏切で終わっているが、空中写真で見られるように延伸前の小平駅東側にはもう一つ踏切があった。ここがその踏切の跡。
小平駅南口の駅前には、稲荷神社がある。昭和48年(1973年)に東伏見稲荷神社から分祀された比較的新しい神社だ。