上井草1号~3号踏切
国土地理院Webサイトから
昭和31年の空中写真(米軍撮影)を見る。
千川通りが西武池袋線を渡る場所が、現在と異なっている。写真右下にある野球場(上井草球場)は、昭和11年(1936年)の東京セネタース(戦後に別球団として設立されたセネタースは現在の北海道日本ハムファイターズ)設立に合わせて開設され、戦後は東京市の運営で東京六大学の公式戦などが開催されていたものの、昭和34年(1959年)に廃止され、現在は杉並区立上井草スポーツセンターとなっている。
駅西側の上井草1号踏切。北へ向かう一方通行になっている。ホームが道路にはみ出しているように見えるのは気のせいではない。
このページの写真はいずれも2011/9/17撮影。
上井草駅は両側を踏切に挟まれていて、8両編成は踏切ギリギリに停車する。そのため、踏切から見て上りホームはまさしく触れる位置にある。
さすがにここから駅に進入してしまう人はいなそうだが。
上り電車が停車するとこの通り。道路にはみ出した部分のホームが必要なことが分かる。
写真左側の踏切が現役の上井草2号踏切。千川通りは線路南側を西から直進してきて、踏切に向かって左折するのだが、直進方向に使われていない道が残されている。
これが旧上井草2号踏切へ向かう旧道だ。
旧道入口。昭和30年代半ばまでは、こちらが上井草2号踏切へ向かう道だったはずだ。
※道路反対側から望遠で撮影したものです。
旧道末端部へ。すっかり草むらに覆われ、線路が見えない。しかし、この先が踏切だったはずだ。
旧道側から千川通りを見る。たしかにこちらの方が道はまっすぐ進んでいたのが分かる。
上井草2号踏切を渡って北側から、千川上水橋梁の向こうに旧踏切を見る。
踏切信号の向こうに見える草むらがさきほどの旧道末端部。
さて、その2号踏切の西側すぐのところにある路地。ここが昭和22年の空中写真では踏切だったと思われる場所。
突き当りは私道なのか、車庫に使われているようだ。南側も自動車工場の資材置き場になっていた。
上井草2号踏切を南側から歩いていくと、上石神井車両基地がある。
車両基地の入口を右に曲がった先にあるのが現役で車両通行止めな上井草3号踏切。
おまけは、上井草駅構内に残されていた古い標識。
いったいいつからここに置かれているのだろうか。