中井1号~8号踏切
廃止された3号踏切は全国Q地図の
東京都3千分の1地図でも1965〜1966年版まで踏切の存在が確認できる。
3号踏切はすでに廃止されて現存しない。その東側に地図ではわからないが踏切らしきアプローチが残っている。
中井駅。駅舎の位置は昭和のころから変わっていないようだが、駅のホームは西側に伸びて行っている。駅舎の後方には、駅を跨いでいる山手通りの陸橋が見える。
このページの写真はいずれも2012/4/21撮影。
国土地理院Webサイトから
昭和22年空中写真(米軍撮影)。中井1号の東側に構内踏切のようなものが、中井4号の西側にもうひとつ踏切のようなものが見える。
さて、一見なんの変哲もない昭和風味の商店街。実は表具店と民家の間に、駅へ向かう道があった。
昭和22年の空中写真では、この小路が駅西側の踏切につながっていたように見える。
進んでいくと駅ホームにぶつかって行き止まりになっていた。道路の右側でホームの壁の様子が変わっており、かつてはここで線路を渡っていたのかもしれない。
道路は左に折れているが、すぐにマンションの敷地内に入ってしまい。ここから駅へは行くことが出来ない。
駅西側の中井1号踏切。上り線は踏切ギリギリまで伸びてきている。。
2号踏切西側にあるいかにも踏切っぽい小路。
線路を跨いだ向こうにも道は続いており、踏切として使われていた可能性は高そうだが、地図や空中写真では踏切としては確認できない。
西側の落合公園からつながる細い道が中井4号踏切へ向かう道と交差した先。このひょろひょろと細い道が中井3号踏切跡へ向かっている。
なんとも怪しいクランク。
写真奥で細道は線路にぶつかっており、そこが中井3号踏切だったようだ。
こちらも昭和レトロな中井4号踏切。踏切脇には理容室が営業中だが、左のベーカリーはコインランドリーになってしまっていた。
踏切脇にあった、何を何ないで下さいなのか全く分からない看板。
謎の看板のすぐ西側に、線路向こうに突き当たりの道が見える場所がある。一見、踏切跡のようではあるが、地図や空中写真でも確認はできない。
さらに西側、落合公園の脇にも突き当りの道はあり、そちらが昭和22年の空中写真に写っている踏切のようだ。
中井は坂の町。駅から妙正寺川までの間は北側が台地になっており、駅前の一の坂から川沿いの八の坂までずらりと坂が続いている。
国土地理院Webサイトから再び昭和22年(1947年)の空中写真。中井7号踏切の東側にもうひとつ踏切が見える。
妙正寺川を渡り、新井薬師前に向かって線路が坂を駆け上る途中にある中井5号踏切。
踏切部分だけが極端に盛り上がった構造になっている。
踏切から新井薬師前方向を見る。
西武新宿線の連続立体交差事業では、ここから新宿線が地下へもぐる計画。
すぐ西隣の路地がかつて中井6号踏切だったと思われる場所。
突き当りにしては妙に幅広い道になっている。
中井6号踏切跡から北側の坂を上っていくと、途中で民家の間にある妙な隙間に出会う。
どうやら、ここもかつては踏切だったようだ。全国Q地図では確認できないので、番号がつく前に廃止されたか、線路敷設時に分断されたのかもしれない。
線路の南側には、隙間へ向かって細い道がくねくねと進んでいた。
享保4年(1719年)の庚申塔が残る中井7号踏切。
現在は新井薬師前駅を跨ぐ歩道橋になっているここは、昭和34年の地図では踏切として描かれており、中井8号踏切の跡であったと思われる。
全国Q地図の
東京都3千分の1地図(1969〜1970年)でも存在が確認できる。
以前は歩道橋を渡って反対側に行くことができるようになっていたが、西武新宿線地下化工事に伴って歩道橋は撤去され中井7号踏切脇に移設された。