田無1号~9号踏切
OpenStreetMapで
田無駅から田無7号踏切までを見る。
もっとも駅に近い田無1号踏切が廃止されているほかは、順番に踏切が並んでいる。
駅前ロータリーなどきれいに整備されている田無駅北口と違い、南口は永らく西武線によくある商店が密集した狭い路地となっていた。平成30年(2018年)から駅前の
交通広場整備事業(組合を組織する再開発事業ではない点には注意が必要)が始まったため、一部の用地はすでに更地になっており、写真左奥の店舗もすでに閉店している。
このページの写真はいずれも2023/10/3撮影。
田無駅は駅ホーム西側に大きな踏切がなく、田無1号踏切の跡はすこし西へ進んだ田無2号踏切の手前、写真中央少し奥よりの柵が低い位置に下がっているあたりにあったらしい。写真手前の丁字路左が古くからある道路で、そこから北に道がつながっているのだが線路との高低差があり位置をずらして渡っていたようだ。
線路を斜めに渡る田無2号踏切。昭和22年の空中写真では北側の道路に合わせて逆向きの斜めに渡っていたようだが、全国Q地図の
東京都3千分の1地図をみると昭和41年(1966年)から42年(1967年)
あたりに切り替えられたようだ。
西東京中央総合病院前を通る府中道がこちらも斜めに線路を渡る田無3号踏切。写真奥に映る大きな建物は病院ではなく、北側にあるシチズン時計の本社・東京事業所のものだ。1936年(昭和11年)に田無工場として開設され、2001年(平成13年)に本社をこの地へ移転している。
そのシチズン時計の敷地南、道路脇にある南芝久保庚申塔。延享2年(1745年)の造立という。
府中道から西へ分かれた五軒家通りが渡る田無4号踏切。
田無5号踏切は自転車以外の車両通行止めとなっている小さな踏切。
みたけ分社通りと名付けられた道路が渡る田無6号踏切。
踏切から南へ行ったところにある「みたけ分社通り」バス停の待合所はなんだかレトロな看板や古民具が飾られている。待合所の中にもソフビ人形や草鞋、羽子板などが並んでいた。
田無7号踏切の北側には、新宿駅南口近くに劇場を構える人形劇団プークのアトリエがある。
田無7号踏切のすぐ西側、高圧線鉄塔の下に斜めに線路を渡っていたであろう踏切の跡がある。
踏切跡の西側からは、小平市となる。
つづいて小平市立花小金井小学校の校庭から線路を渡る跨線橋。北側は道路に繋がっているのではなく、校庭に繋がっている。
線路南側の跨線橋入り口にはここから先が花小金井小学校の敷地であることを示す看板があり、関係者以外立ち入り禁止となっているため一般人は跨線橋を渡ることができない。線路南側からの通学路として使用されているのだろう。
ちなみに校庭と校舎は都道132号小川山田無線で分断されており、こちらは地下道で渡るのだそうだ。
さらに少し西へ進んだところ、写真の位置にも踏切があったようだ。北側はかつては行き止まりで、線路によって分断された土地を繋いでいたらしい。
田無8号踏切東側には、線路と直交する形の踏切跡がある。これらの踏切は昭和40年(1965年)あたりから順次廃止されていったようで、踏切番号は付けられていない。
花小金井小学校前を通っている都道132号が線路を斜めに渡る田無8号踏切。古地図には写真左側に水路が描かれているのだが、現在その痕跡は残っていない。
花小金井駅東側にある田無9号踏切。南北の通りはカーブしているためあまり見通しがよくない。
花小金井駅北口に停車中の都営バス梅70系統、青梅車庫行き。以前は西武柳沢駅まで行っていたのだが、平成27年(2015年)に花小金井駅発に短縮された。それでも走行距離29km弱、走行時間2時間弱という長距離路線だ。昭和59年(1984年)までは荻窪で中央線を越えて阿佐ヶ谷まで39km強の路線で、昭和50年(1980年)まで車掌が乗務していたという。