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所沢1号~4号踏切

OpenStreetMapで所沢駅から航空公園駅までを見る。
明治44年(1911年)に日本で初めての飛行場が開設され、その後所沢陸軍飛行場、戦後は米軍所沢通信基地となっていたが昭和46年(1971年)に返還された部分に昭和53年(1978年)開園したのが所沢航空記念公園で、西武新宿線の駅は昭和62年(1987年)に開業したため踏切番号としては次の新所沢までが所沢になっている。
公園敷地部分には現在踏切はないが、戦前は線路東側に側道があったようだ。明治時代には付近は農地などで、当時の道筋は全く残っていないが、地図上から推定される踏切跡もあわせて見ていこう。
明治44年(1911年)に日本で初めての飛行場が開設され、その後所沢陸軍飛行場、戦後は米軍所沢通信基地となっていたが昭和46年(1971年)に返還された部分に昭和53年(1978年)開園したのが所沢航空記念公園で、西武新宿線の駅は昭和62年(1987年)に開業したため踏切番号としては次の新所沢までが所沢になっている。
公園敷地部分には現在踏切はないが、戦前は線路東側に側道があったようだ。明治時代には付近は農地などで、当時の道筋は全く残っていないが、地図上から推定される踏切跡もあわせて見ていこう。

西武新宿線の所沢駅北側にある所沢1号踏切。写真右側には西武池袋線の秋津5号踏切がある。
ここからの写真は2026/5/14撮影。
ここからの写真は2026/5/14撮影。

北へ進んでいくと埼玉県道6号所沢青梅線のすぐ南側に跨線人道橋がある。西武新宿線は下り坂の途中で少し切り下げたところを走っており、古地図を見てもここに踏切はなかったようだ。

西武新宿線が東川(あずまがわ)に向かって下っていく途中にある所沢2号踏切は東向き一方通行。
南に県道6号、北に飛行機新道があるので、ここの交通量は多くなさそうだ。
南に県道6号、北に飛行機新道があるので、ここの交通量は多くなさそうだ。

旭橋から西武新宿線をくぐる飛行機新道(写真左)を見たところ。
航空公園通りにつながる飛行機新道はその名の通り飛行場へ物資を輸送するために造られた道路で、新道といっても明治時代の開通ということになる。
昭和13年(1938年)に所沢飛行場前駅として開業し昭和15年に改称した所沢御幸町駅は飛行機新道の北側(写真左)にあったという。
航空公園通りにつながる飛行機新道はその名の通り飛行場へ物資を輸送するために造られた道路で、新道といっても明治時代の開通ということになる。
昭和13年(1938年)に所沢飛行場前駅として開業し昭和15年に改称した所沢御幸町駅は飛行機新道の北側(写真左)にあったという。

飛行機新道の脇に建つ笠付青面金剛庚申塔。

国道463号も西武新宿線の下をくぐっていく。

前の写真手前を北に上っていく坂道があるのだが、現在線路に突き当たって線路脇方向に曲がっているところに踏切があり、旧道は斜めに線路を渡って線路東側に沿って左に向かっていたようだ。
地図では所沢市立所沢図書館所蔵の「五万分一地形図 青梅」昭和26年修正版までは道路が記載されているが、昭和28年修正版では消されている。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)でも道路の存在が確認できる。
ただし、軍施設の脇を通っている道でありいつまで実際に道路として使用されていたのかはわからない。
地図では所沢市立所沢図書館所蔵の「五万分一地形図 青梅」昭和26年修正版までは道路が記載されているが、昭和28年修正版では消されている。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)でも道路の存在が確認できる。
ただし、軍施設の脇を通っている道でありいつまで実際に道路として使用されていたのかはわからない。

線路東側には踏切に下りていた道路があったと思われる部分だけやや窪みが残っている。
線路東側は現在サッカー場になっているため、道路は残っていない。
線路東側は現在サッカー場になっているため、道路は残っていない。

2番目の踏切跡は写真の丁字路よりもやや航空公園駅寄りにあったと思われる。
ここでも線路の向こう側は踏切があったあたりで窪地になっている。
国土地理院Webサイトの「2万迅速図・仮製図 所沢」(陸地測量部, 明治30年=1897)では現在の公園内に道があるのだが、大正・昭和線前期の地図では失われており飛行場ができた時に廃道となったようだ。
ここでも線路の向こう側は踏切があったあたりで窪地になっている。
国土地理院Webサイトの「2万迅速図・仮製図 所沢」(陸地測量部, 明治30年=1897)では現在の公園内に道があるのだが、大正・昭和線前期の地図では失われており飛行場ができた時に廃道となったようだ。

3番目の踏切はそこから一つ丁字路を過ぎ、その次の丁字路(写真奥)手前にあったと思われる。
ちなみにこの付近、線路西側も区画整理が行われており古道の名残は見当たらない。
ちなみにこの付近、線路西側も区画整理が行われており古道の名残は見当たらない。

4番目の踏切は航空公園駅南端付近にあった。

東側に大きなロータリーを持つ航空公園駅。
駅前には所沢市役所、税務署、図書館、法務局などがありさながら所沢の官庁街といったところだ。
駅前には所沢市役所、税務署、図書館、法務局などがありさながら所沢の官庁街といったところだ。

所沢航空記念公園の入口で展示されている国産旅客機YS-11型。だいぶ塗装が剥げてしまっているが、1997年退役というからもう30年近くここにいるということになる。

OpenStreetMapで航空公園駅から新所沢駅までを見る。
すでに書いたように踏切番号が付けられたのは航空公園駅ができる前なので、踏切番号は所沢駅からのナンバリングとなっている。
新所沢駅近くには旧道があったが駅周辺の区画整理で失われている。
すでに書いたように踏切番号が付けられたのは航空公園駅ができる前なので、踏切番号は所沢駅からのナンバリングとなっている。
新所沢駅近くには旧道があったが駅周辺の区画整理で失われている。

航空公園駅西側から4番目の踏切跡を見たところ。丁字路手前付近に踏切があったようだ。

航空公園・新所沢間では唯一の踏切となっている所沢3号踏切。
新所沢寄りにアンダーバスで西武新宿線をくぐる新所沢跨道橋通りがあるのだが、少し離れているためここ(はくれん通り)も結構交通量が多い。踏切西側(写真手前)が十字路になっていて、踏切に右左折で入っていく車もあるのでややこしい。
新所沢寄りにアンダーバスで西武新宿線をくぐる新所沢跨道橋通りがあるのだが、少し離れているためここ(はくれん通り)も結構交通量が多い。踏切西側(写真手前)が十字路になっていて、踏切に右左折で入っていく車もあるのでややこしい。

新所沢駅南側には保線区がある。ここから航空公園駅方向東寄りに米軍基地引込線が伸びていたが、その跡は残っていない。

新所沢跨道橋の上にある側道から線路を見たところ。
平成12年(2000年)に跨道橋が完成して立体交差化されたことにより、ここにあった所沢4号踏切は廃止されている。
平成12年(2000年)に跨道橋が完成して立体交差化されたことにより、ここにあった所沢4号踏切は廃止されている。

東側から新所沢跨道橋のやや北側にあった踏切跡を探してみたところ。
旧道も含めまったく痕跡がないが、写真やや左寄りを手前から斜めに線路を渡っていたと思われる。
旧道も含めまったく痕跡がないが、写真やや左寄りを手前から斜めに線路を渡っていたと思われる。

新所沢駅西口。写真右端のEmio付近に踏切があったのではないかと思われるが、ここも旧道を含め痕跡は残っていない。

新所沢駅は西口だけでなく東口にも駅ロータリーがある。
この駅はもとは飛行機新道脇にあった所沢御幸町駅が昭和26年(1951年)に北所沢駅として移設されたもので、米軍基地引込線との分岐駅となっていたため広い構内が特徴となっている。
駅名は昭和34年(1959年)に新所沢へ改称された。
この駅はもとは飛行機新道脇にあった所沢御幸町駅が昭和26年(1951年)に北所沢駅として移設されたもので、米軍基地引込線との分岐駅となっていたため広い構内が特徴となっている。
駅名は昭和34年(1959年)に新所沢へ改称された。