一橋学園1号~4号踏切
OpenStreetMapで
一橋学園駅〜青梅街道駅間を見る。
ここには欠番となっている廃踏切はないが、駅間には廃止された駅の跡や番号の付いていない踏切跡があるようなのでそちらを見ていこう。
一橋学園駅南側の入口から構内踏切を見る。
この写真は2023/11/4撮影。
一橋学園駅ホームに突き当たる道路があるが、全国Q地図で
東京都3千分の1地図(1965〜1966年)を見ると駅ができる前は踏切があったらしいことがわかる。
一橋学園駅は駅北側にあった小平学園駅を南側にあった一橋大学駅が統合して移転(改称)したもので、昭和41年(1966年)に開業しているため前述の地図では旧駅が描かれている。駅名は両方を取って合成したものなので「一橋学園」という学校はないし、さらに言えば「小平学園」も学校名ではなく都市構想の名残で、大泉学園と同様だ。
この写真は2023/11/16撮影。
駅北側の構内踏切越しに一橋学園1号踏切を見る。こちらの構内踏切は南側と異なり線路部分に屋根がない。
ここからの写真は2023/11/4撮影。
一橋学園1号踏切から北側を見たところ。写真奥に見える2号踏切との間に小平学園駅があったが、駅舎の跡にはビルが建っていて面影はない。
国土地理院Webから
昭和22年の空中写真(米軍撮影)。
小平学園駅北側では町割が東西に伸びた長方形をしており、古くは道路ごとに線路を渡る踏切があったように見える。
また、写真左上の方には駅ホームらしきものが写っており、鉄道ピクトリアル臨時増刊号No.716(電気車研究会、2002/4)P151で厚生村という駅があったとされている場所と思われる。
一橋学園2号踏切のひとつ北側、線路西側に一橋学園駅前郵便局がある路地。昭和22年の空中写真では踏切だったように見える。
さらにひとつ北側、学園東小南通りの突き当たり。ここも踏切があったように見える。
突き当たりから北側を覗き込む。矢印のあたりに厚生村駅があったと思われるが、それらしい遺構は見当たらない。駅の東側に道路はなく、踏切はなかったのではないかと思われる。
国立公文書館所蔵の武蔵野鉄道「
停留場新設届」(昭和14年)によれば、国分寺起点2,882.867mに新設するとあり、昭和19年(1944年)に休止されたことが同所蔵の西武農業鉄道「
運輸営業休止期間延長につき許可申請」(昭和21年)で確認できる。休止前の昭和18年実績は1日平均の乗車人員が33名、降車人員が50名とあり、あまり利用者がいなかったことがわかる。
もうひとつ北側、小平市福祉会館南側の突き当たり。ここは昭和22年には写真手前側に道路がないが、
昭和31年の空中写真(米軍撮影)では線路東側の窪地に野球場が出来、その北側にあるここに道路ができて踏切があったように見える。
振り返って窪地の方向を見る。
野球場は
昭和36年の空中写真(国土地理院撮影)まで残っているのだが、踏切は無くなっている(よくわからないが厚生村駅後の方に踏切があるようにも見える)。
昭和39年の空中写真(国土地理院撮影)では野球場はなくなり、その後跡地は宅地として分譲されて現在に至るが、今でも近辺は窪地になっている。
この窪地はいったいどこへ向かっているのかという話は現在の地形ではわかりにくいが、
地理院地図の地形分類(自然地形)で見ると遥か東にある東大付属農場の北側、すなわち新川を経由して白子川水系につながっていた(今昔マップから黒目川水系としたのは誤り)。
中央公民館前交差点横の一橋学園3号踏切。市役所、中央図書館など小平市の主要公共施設が集まる一角にある。
青梅街道駅前交差点の一橋学園4号踏切。青梅街道と平面交差しているため、街道側は渋滞になりやすい。