東上41号〜49号踏切
OpenStreetMapで
東武練馬駅・下赤塚駅間を見る。
東京都公文書館で大正3年(1914年)東上鉄道起案の「道路及河溝工事施設(下練馬村地内工事施設個所表)」および「同(赤塚村地内工事施設個所表)」(以下では記載された番号を「下練馬村○号」および「赤塚村○号」とするが、この番号は踏切以外の暗渠、架道橋などにも付けられている)を入手し、開業当時の踏切位置がそこに記載されていたので位置関係を確認しながら改めて見ていくこととした(哩程はヤードポンド法、東上線は旧下板橋駅起点のはずだがゼロマイルは東上13号踏切東側と推定され、そこからの距離が記載されている)。
なお、下練馬村と赤塚村の村境を線路が走っていたので、一部の踏切番号には重複がある。
(参考)ヤードポンド法での表記:哩(マイル)=約1.609km、鎖(チェーン)=約20.12m(1/80哩)、節(リンク)=約20.12cm(1/100鎖)。
東上41号踏切(下練馬村5号と推定、東上13号踏切東側起点哩程2哩78鎖70節=約4,802m)は、タヌキのアーチの向こうにある。地元ではたぬき小路と呼ばれる商店街の北端にあるためらしい。
このページの写真は、但し書きがない限りすべて2011/11/13撮影。
※補足:タヌキのアーチは2020年前後に撤去されてしまったらしい。
北側から踏切越しにたぬき小路を眺める。
東上41号踏切は自動車通行止め。この踏切の西側に昭和22年の空中写真では踏切らしきものがあるのだが、現地では見逃していた。
2011/11/27に再訪。空中写真では、正面のマンションのところに踏切へ向かう道があるように見えるのだが、跡形もない。マンションの右脇には、線路まで細い隙間があるのだが…
工事施設個所表には、該当する踏切は記載されていない。
東武鉄道練馬変電所の南側にあり、前後の道路に比べて規模が大きい東上42号踏切(赤塚村8号と推定、哩程3哩13鎖70節=約5,103m)。
北側からはまったく痕跡が分からない東上43号踏切跡。工事施設個所表に記載がなく、開業当時はなかったようだ。
写真中央の木が植わっているあたりに向かって踏切があったはずだが…
東京都公文書館所蔵の昭和4年(1929年)東武鉄道設計協定書「下練馬村地内」および「赤塚村地内」に下練馬村7号・赤塚村10号(大正3年の工事施設箇所表とは起点と記載番号が異なる点注意、下板橋停車場中心起点哩程3哩63鎖94節=約6,114m)として記載されている踏切が該当すると思われる。
東上44号踏切の南側にある行き止まりの道。これが廃止された東上43号踏切へつながっているはずだ。
かなり長細い道を進んでいくと、線路の南側で突き当たる。
南側は擁壁の上になっているが、ここが踏切だったらしい。
東上44号踏切(大正3年資料の赤塚村9号と推定、東上13号踏切東側起点哩程3哩28鎖20節=約5,395m)は自動車通行止め。
南側の線路敷地内に、なぜか徳丸四丁目1番地という住居表示の標識がある。
廃止された東上45号踏切(赤塚村11号、哩程3哩40鎖30節=約5,638m)は46号踏切のすぐ東側。ここも木が植わっているあたりが踏切の跡だ。
南側に回ったところ。踏切跡に木を植えるというのは何か基本なのだろうか。
※補足:写真の立派な木はすでに撤去されている(2015年まではGoogle Mapで存在が確認できる)。
東上46号踏切(赤塚村12号、哩程3哩42鎖90節=約5,691m)は南向き一方通行。
東上47号踏切(赤塚村13号、哩程3哩80鎖80節=約5,849m)は北向き一方通行。工事施設個所表の位置は現在よりやや西側を示している。
線路の南側、まるで駅構内かと見間違えるような線路脇の細道を進むと、廃止された東上48号踏切(赤塚村14号、哩程3哩55鎖=約5,934m)がある。
ここが東上48号踏切跡。西側は下赤塚駅との間の大きな谷(前谷津川支流)になっている。
北側に回ってみる。谷筋から細い路地を上り、工務店の右側の行き止まりが踏切跡。
東上49号踏切(赤塚村17号、哩程3哩62鎖=約6,075m)は下赤塚駅東側。赤塚中央通りが線路を渡る。
下赤塚駅のホームには、かつての改札口へ向かうスロープの跡が残されている。スロープがおりたところに赤塚村18号踏切(哩程3哩64鎖60節=約6,127m)があったのではないかと思われる。