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東上50号〜57号踏切
地図
現在の地図。都道446号(松月院通り)以外には大きな道と交差していない。
東京都公文書館で大正3年(1914年)東上鉄道起案の「道路及河溝工事施設(赤塚村地内工事施設個所表)」(以下では記載された番号を「赤塚村○号」とするが、この番号は踏切以外の暗渠、架道橋などにも付けられている)を入手し、開業当時の踏切位置がそこに記載されていたので位置関係を確認しながら改めて見ていくこととした(哩程はヤードポンド法、東上線は旧下板橋駅起点のはずだがゼロマイルは東上13号踏切東側と推定され、そこからの距離が記載されている)。
(参考)ヤードポンド法での表記:哩(マイル)=約1.609km、鎖(チェーン)=約20.12m(1/80哩)、節(リンク)=約20.12cm(1/100鎖)。
地図その1
昭和22年(1947年)の空中写真(米軍撮影)を見る。
写真右上に見える松月院通りの東側に、廃止された東上55号踏切が見える。その東側にも踏切があったようだ。
東50
下赤塚駅西側の東上50号踏切(赤塚村19号と推定、東上13号踏切東側起点哩程3哩75鎖50節=約6,346m)。
このページの写真は特に記載がない限りいずれも2011/11/13撮影。
鎌倉古道
東上50号踏切から川越街道に出たところ、東京メトロの地下鉄赤塚駅入り口にある「鎌倉古道」の標柱。
鎌倉古道(鎌倉街道の中道のひとつ)は鎌倉からここへ来て、東上50号踏切を越えて北へ進み、現在の新大宮バイパス笹目橋の東側にあった「早瀬の渡し」に向かっていたのだそうだ。
東51
さて、その鎌倉古道を逸れ、西に向かう細い道を進むと、右手に東上51号踏切(赤塚村20号と推定、哩程4哩0鎖80節=約6,453m)が現れる。
東52+53
さらに西へ向かうと線路に沿って東上52号踏切(赤塚村22号と推定、哩程4哩6鎖50節=約6,567m)と東上53号踏切(赤塚村23号と推定、哩程4哩8鎖0節=約6,597m)が並んでいる(写真手前が52、奥が53)。
細い道は東上53号踏切で東上線を渡り、松月院通りと交差する六道の辻交差点へ向かって行く。
赤塚村24号
東上53号踏切の西側、マンション脇の空き地の先に赤塚村24号(哩程4哩12鎖20節=約6,682m)と推定される踏切があった。
この写真と次は2024/4/25撮影。
南側
線路南側には行き止まりに見える小道があるが、写真奥で東上54号踏切に向かって線路脇に通ることができる道がある。
東54
線路脇に廃屋らしきものがある東上54号踏切(赤塚村26号と推定、哩程4哩16鎖60節=約6,770m)。
赤塚村28号
昭和22年の空中写真では踏切に見えるのがここで、赤塚村28号踏切(哩程4哩22鎖70節=約6,893m)と推定される。
いかにもな行き止まりと線路向こうの道が踏切跡であることを想像させる。
線路敷?
前の写真では突き当りに見えるが、実は左に道がある。
進んでいく先には、かつての東上55号踏切、現在は下赤塚歩道橋が見えるが、工事施設個所表ではそれよりも東寄りに赤塚村29号踏切(哩程4哩24鎖10節=約6,921m)があることになっている。
東55跡
下赤塚歩道橋になっている東上55号踏切跡。
東京都公文書館所蔵の昭和4年(1929年)東武鉄道設計協定書「赤塚村地内」に赤塚村31号(大正3年の工事施設箇所表とは起点と記載番号が異なる点注意、下板橋停車場中心起点哩程4哩66鎖32節=約7,771m)として記載されている踏切が該当するようだ。
地図その2
昭和24年の空中写真(米軍撮影)
東上57号踏切は、現在成増駅東側にあるアンダーパスよりも駅寄りにある。
東56
松月院通りを挟んで西側にある東上56号踏切(赤塚村30号と推定、東上13号踏切東側起点哩程4哩30鎖10節=約7,042m)は車両通行止め。
松月院通りが完成する前は、結構大きな踏切だったのではないだろうか。
赤塚村31号
東上56号踏切の西側、行き止まりの路地の奥に赤塚村31号踏切(哩程4哩33鎖80節=約7,116m)があったと推定される。
この写真は2024/4/25撮影。
アンダーパス
成増駅東側のアンダーパスと、歩行者用の成増東地下歩道。
アンダーパスは昭和40年代にはできていたようだが、歩道が出来たのは1996年なので、まだ15年しかたっていない。
東57
アンダーパスから成増駅方向へ上って行く坂の頂点あたりに、かつては東上57号踏切(赤塚村34号と推定、哩程4哩44鎖5節=約7,323m)があったはずだ。
南側
南側から見ると坂を上る途中、線路と同じ高さになる場所があり、ここが踏切になっていたと思われる。
廃構内踏切
成増駅東側の構内踏切は、すでに使用されていないように見える。
遮断棒?
北側には遮断機ならぬ、スライド式の遮断棒が残っている。
開け閉めで手を挟んだりしなかったのだろうか…
構内踏切(現役)
西側にも構内踏切があるが、こちらは詰所があって現役で使われているようだ。
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