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武蔵新田1号~矢口渡8号踏切

OpenStreetMapで武蔵新田(むさしにった)駅から矢口渡(やぐちのわたし)駅間を見る。
地図の中央を南北に通るのは国道1号第二京浜国道で、この前後は多摩川線が築堤で上を通っている。
地図の中央を南北に通るのは国道1号第二京浜国道で、この前後は多摩川線が築堤で上を通っている。

武蔵新田駅南側で多摩川線を斜めに渡る武蔵新田1号踏切。写真奥には環状八号線が見える。
ここからの写真は2026/3/27撮影。
ここからの写真は2026/3/27撮影。

踏切から第二京浜を越える築堤を見たところ。

環状八号線の手前にもうひとつ架道橋がある。

環状八号線を架道橋で越えていく多摩川線。

多摩堤通りが東西に渡る武蔵新田2号踏切。

踏切近くに線路に向かってフクロウの像が置かれていた。
カラスによる置き石を防止するためのカカシで、池上線と多摩川線に合わせて22羽導入されているそうだ。
カラスによる置き石を防止するためのカカシで、池上線と多摩川線に合わせて22羽導入されているそうだ。

矢口渡駅前にある武蔵新田3号踏切。

OpenStreetMapで蒲田駅周辺を見る。
多摩川線は現在矢口渡3号踏切からまっすぐ東へ進んで蒲田駅に入るが、目黒蒲田電鉄として開業したときには大きく南側に回り込んでから省電(現JR)蒲田駅の横に付けていた。
昭和20年(1945年)の空襲で大きな被害を受けたことから池上線の線路を片方目蒲線に転用して応急復旧を行い、戦後もそのまま並走する形で現在に至っている。
多摩川線は現在矢口渡3号踏切からまっすぐ東へ進んで蒲田駅に入るが、目黒蒲田電鉄として開業したときには大きく南側に回り込んでから省電(現JR)蒲田駅の横に付けていた。
昭和20年(1945年)の空襲で大きな被害を受けたことから池上線の線路を片方目蒲線に転用して応急復旧を行い、戦後もそのまま並走する形で現在に至っている。

矢口渡駅東側の矢口渡1号踏切。

踏切から北へ行って環状八号線に出たところにある安方神社。安方はこのあたりの旧村名で、明治42年(1909年)に周辺の神社を合祀するまでは八幡神社であったという。

環八沿いのマンション横を通っている矢口渡2号踏切。

踏切南側に稲荷神社の小さな祠がある。

環八アンダーパスの上にある矢口渡3号踏切は片側1車線の道路両側に歩行者用の踏切が付いている。

矢口渡3号踏切から蒲田方向を見たところ。旧目蒲線は矢印の信号機付近を右に向かっていた。

矢印のところまで行って旧目蒲線跡を蒲田方向に見たところ。
道路左に建ち並ぶ住宅のあたりが路盤だったと思われる。
道路左に建ち並ぶ住宅のあたりが路盤だったと思われる。

旧線跡脇の道路が東側を南北に通る道路と交差するあたりに旧目蒲線の踏切があったと思われる。道路東(右)側にも斜めに建ち並ぶ住宅があるが、道路は行き止まりになっている。
まっすぐ進むと現在の多摩川線の踏切がある。
まっすぐ進むと現在の多摩川線の踏切がある。

北へ進んで矢口渡4号踏切へ。

隣の矢口渡5号踏切を北側から見たところ。
ここからの写真は2026/3/29撮影。
ここからの写真は2026/3/29撮影。

踏切から南へ進んでいったところ。保育園のあるビルのあたりから旧目蒲線が道路を渡る旧踏切があったと思われる。
保育園のあたりには大正14年(1925年)に本門寺道駅として開業し、昭和11年(1936年)に改称した道塚駅があったが、空襲で休止となりそのまま昭和21年(1946年)に廃止されている。
保育園のあたりには大正14年(1925年)に本門寺道駅として開業し、昭和11年(1936年)に改称した道塚駅があったが、空襲で休止となりそのまま昭和21年(1946年)に廃止されている。

北側(写真奥)に池上線の蓮沼3号踏切が見える矢口渡6号踏切。
どちらかの踏切を列車が通過する際は、もう一方の踏切も閉鎖されるようだ。
どちらかの踏切を列車が通過する際は、もう一方の踏切も閉鎖されるようだ。

旧目蒲線3つ目の踏切は。矢口渡6号踏切から環状八号線に向かって南へ進んだところにある十字路付近にあったようだ。
写真は北側から見たところで、線路は交差点の右手前から左奥に向かっていた。
写真は北側から見たところで、線路は交差点の右手前から左奥に向かっていた。

東京実業高校西側の丁字路付近に旧目蒲線4つめの踏切があった。写真は南側から見たところ。

踏切跡から北へ進んで、南側から矢口渡7号踏切を見る。池上線の蓮沼4号踏切は並んで設置されている。

蒲田駅手前にあった矢口渡8号踏切は架道橋になっている。
蒲田駅は昭和43年(1968年)に複々線高架化されたため、その前年に踏切としては池上線の蓮沼5号踏切とともに廃止された。
蒲田駅は昭和43年(1968年)に複々線高架化されたため、その前年に踏切としては池上線の蓮沼5号踏切とともに廃止された。

旧目蒲線の方はその南側からカーブして蒲田駅方向へ向かっていた。環八からひとつ北に入ったところの十字路手前あたりに踏切があったと思われる。

旧目蒲線最後の踏切はJR西側の側道に線路が出てくるところにあった。側道は旧目蒲線を渡って西寄りを通っており、踏切は写真奥左に見えるユザワヤ付近にあったと思われる。

目蒲線の旧蒲田駅はJR蒲田駅のJR線と駅ビルの間にある空間にあったらしい。現在は貨物の搬入口になっているようだ。