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洗足1号~奥沢3号踏切
地図その1
OpenStreetMapで大岡山駅周辺を見る。
洗足1号踏切から3号踏切までは、環状七号線との立体交差化に伴い昭和41年(1966年)に目蒲線(当時)が地下化され廃止されている。
北千束五差路
環状七号線が目蒲線を渡っていた北千束五差路交差点。東急ストアは線路の上に建っており、洗足1号踏切跡の西側は「ふれあいロード桜新道」と名付けられた遊歩道になっている。
ところで、駅名は「洗足」だが交差点は同じ読み方でも「千束」。住所としては目黒区洗足と大田区千束ということになるが、千束の方が古い地名で中世の荏原郡千束郷まで遡れるという。台東区にも浅草付近の旧地名として別の豊島郡千束郷があり、いずれの千束も稲千束分の領地もしくは免田に由来するというのが定説。
一方、洗足は南にある洗足池に由来しており、日蓮が弘安5年(1282年)にこの池で手足を洗ったという伝承から名付けられたとされている(伝承は後付けとする説もある)。
ここからの写真は2026/2/28撮影。
桜新道
地下線の上に作られた桜新道。
花桃
桜新道では花桃が咲いていた。
洗足2号踏切
現在線路の上を渡る道路は南北の道路と一致しているが、洗足2号踏切は少しずれた位置にあった。
写真は目黒線が地下から出てくる北千束二の橋より一つ手前の交差点を見たところだが、踏切は写真左に見える横断歩道の少し奥の位置にあったようだ。
清水窪歩道橋
北千束二の橋の大岡山寄りにある清水窪歩道橋付近に洗足3号踏切があった。
清水窪は大岡山駅東側にある窪地で、駅北側にある清水窪弁天の湧水を水源として洗足池に向かう谷になっている。
大岡山駅
目黒線と大井町線が接続している大岡山駅。地上駅だったころは写真奥に見える交番あたりに駅前の大岡山1号踏切があったが、大井町線の北千束駅から大岡山駅間の立体交差化に合わせて地下化されたことにより平成9年(1997年)に廃止されている(大井町線は前年に踏切を廃止)。
ここからの写真は2026/3/5撮影。
地図その2
OpenStreetMapで大岡山駅から奥沢駅付近を見る。
駅前の大岡山1号踏切が廃止されたことにより、現在も残っている踏切は再付番されているため、改めて大岡山1号踏切から見ていこう。
西側
大岡山駅西側で目黒線(両外側)と大井町線(内側)が地上に出てくるところ見る。
大岡山駅が地上にあった時代は大井町線が南側にあって高架で目黒線を越えていたが、地下化された時に目黒線が大井町線を挟む形となり、大岡山駅での乗り換えが便利になった。
大岡山1号踏切
目黒線は奥沢駅に向かって下って行き、呑川を越えたところに現役の大岡山1号踏切(旧2号踏切)がある。
大岡山2号踏切
北側に奥沢大蛇通りの交差点が見える大岡山2号(旧3号)踏切。
大岡山3号踏切
線路南側に沿っていた側道は大岡山3号(旧4号)踏切で途切れている。
大岡山4号踏切
大岡山4号(旧5号)踏切は車両通行止め。
奥沢駅
大岡山4号踏切から奥沢富士見橋越しに奥沢駅と留置線(旧奥沢工場・奥沢検車区)を見たところ。
旧踏切
その奥沢富士見橋だが、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1963〜1964年)や国土地理院Webサイトの昭和38年空中写真(国土地理院撮影)を見ると踏切になっている。
地図や空中写真では現在の大岡山4号踏切は行き止まりになっており、空中写真を追っていくと昭和59年(1984年)から平成元年(1989年)の間に移設されている。公式記録は見つけられていないが平成元年に移設が行われ、平成4年(1992年)に跨線人道橋として開放されたようだ。
奥沢1号踏切
奥沢駅西側にある奥沢1号踏切。
奥沢駅は下は2面3線で北側に行き止まりの3番線を持つ構造だったが、新横浜線開通に伴う目黒線の8両編成化への対応として上りホームを3番線の位置へ移動し、2番線を中線として2面2線の対向式ホームとする工事が行われた。
合わせて踏切の南北を繋ぐ横断デッキが造られ、令和4年(2022年)に現在の形となった。
ここからの写真は2026/2/22撮影。
奥沢神社
奥沢駅北側にある奥沢神社。
世田谷城主吉良氏の家臣であった大平氏が室町時代に八幡神を勧請したと伝わっている。
奥沢2号踏切
目黒線としては現役最後の踏切となる奥沢2号踏切。
ここから目黒線は田園調布駅に向かって南へカーブしていく。
奥沢3号踏切
奥沢3号踏切は東横線の自由が丘4号踏切と並んで環状八号線にある田園調布橋が架かっている場所にあった。
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