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多摩川1号~沼部5号踏切

OpenStreetMapで多摩川駅から沼部駅間を見る。

多摩川駅東側に広がる田園調布せせらぎ公園。
ここは大正14年(1925年)にオープンした温泉遊園地多摩川園があった。多摩川園は昭和54年(1979年)に閉園となりその後はテニスコートなどがあったが、平成16年(2004年)に北側2/3ほどの部分が公園として開放されている。
ここからの写真は2026/3/27撮影。
ここは大正14年(1925年)にオープンした温泉遊園地多摩川園があった。多摩川園は昭和54年(1979年)に閉園となりその後はテニスコートなどがあったが、平成16年(2004年)に北側2/3ほどの部分が公園として開放されている。
ここからの写真は2026/3/27撮影。

多摩川駅は大正15年(1926年)に東横電鉄(現東横線)との連絡駅とすべく移設、改称された丸子多摩川駅にはじまっていて、昭和6年(1931年)から昭和52年(1977年)までの間は多摩川園前駅、その後平成12年(2000)に目蒲線が目黒線と多摩川線に分割されるまでは多摩川園駅であった。
目蒲線時代は築堤の上に駅があったが、目黒線が日吉方向へ直通するため高架上のホームを使うことになり多摩川線は地下駅となっている。
目蒲線時代は築堤の上に駅があったが、目黒線が日吉方向へ直通するため高架上のホームを使うことになり多摩川線は地下駅となっている。

多摩川駅南側の架道橋は当初から踏切ではなかった。

多摩川線最初の踏切である多摩川1号踏切は多摩川線が地上に出てきたところ、多摩川浅間(せんげん)神社の前にある。
初代の多摩川駅は踏切の南(左)側にあった。写真右奥の小山の上に浅間神社の社殿があるが、本殿は前方後円墳の上に建っているという。
初代の多摩川駅は踏切の南(左)側にあった。写真右奥の小山の上に浅間神社の社殿があるが、本殿は前方後円墳の上に建っているという。

中原街道の丸子橋脇をくぐり、六郷用水沿いの桜を眺めながら沼部駅へ向かう。

沼部駅手前にある多摩川2号踏切。
多摩堤通りが大きくカーブして多摩川線を渡っている。
多摩堤通りが大きくカーブして多摩川線を渡っている。

OpenStreetMapで沼部駅から鵜の木駅間を見る。
大正12年3月に目黒蒲田電鉄が目黒線として開通させたのは目黒から沼部(当時は丸子駅)までであった。沼部駅から鵜の木駅までの間は大正時代までは農地しかなく、まっすぐ線路が敷かれている。
大正12年3月に目黒蒲田電鉄が目黒線として開通させたのは目黒から沼部(当時は丸子駅)までであった。沼部駅から鵜の木駅までの間は大正時代までは農地しかなく、まっすぐ線路が敷かれている。

沼部駅のすぐ南側で多摩川線を越えている新幹線と品鶴線。

架道橋には「目蒲電鉄乗越橋架道橋」というプレートが付いている。
品鶴線(横須賀線)ができたのは昭和4年(1929年)で、当時目蒲線はまだ目黒蒲田電鉄の時代だった。
品鶴線(横須賀線)ができたのは昭和4年(1929年)で、当時目蒲線はまだ目黒蒲田電鉄の時代だった。

乗越橋のすぐ南に線路両側から突き当たる道路があるが、ここが踏切であった記録は見当たらない。

そこから南へ進んだところに沼部1号踏切がある。東側に見えているのは高台に建つ大田区大田図書館だ。

沼部2号踏切は多摩川線を斜めに渡っている。この道路が旧下沼部村(現在は大田区田園調布南)と旧嶺村(現在は鵜の木三丁目)の境になっていた。

鵜の木三丁目の中心付近にある沼部3号踏切。
ところで、関東小字地図で見ると多摩川線が通っているあたりの旧地名は嶺村字河原で、多摩川左岸のあたりは字中洲となっている。江戸時代には多摩川はこのあたりで左右(東西)に蛇行していたようで、中洲だったのだろう。
ところで、関東小字地図で見ると多摩川線が通っているあたりの旧地名は嶺村字河原で、多摩川左岸のあたりは字中洲となっている。江戸時代には多摩川はこのあたりで左右(東西)に蛇行していたようで、中洲だったのだろう。

鵜の木三丁目と二丁目の境にある沼部4号踏切。

鵜の木駅手前にある沼部5号踏切。