Natrium.jp
中延1号~荏原町2号踏切
地図
OpenStreetMapで中延駅から旗の台駅までを見る。
昭和32年(1957年)竣工の立体交差化によって中延駅から中延4号踏切までは廃止されている。
旧中延1号踏切
現在中延1号踏切は番号がふり直されたため荏原町(えばらまち)寄りにあるが、元の中延1号踏切は中延駅西側にあった。
架道橋としてはなぜか番号が荏原町寄りから付いていて、ここは荏原町第4架道橋となっている。
ここからの写真は2026/3/24撮影。
旧中延2号踏切
旧中延2号踏切は荏原町第3架道橋となっている。
中延3号踏切
中延3号踏切跡には昭和32年の橋脚がそのまま残っている。線路南側(左)にある空間は元地上線時代の線路があった場所で、当時はまだ直上高架方式ではなく一線ごと高架に移す方法が取られたという。
中延4号踏切
中延4号踏切跡は高架から地上に下りる途中にあるため架道橋の桁下が2.1mしかない。
中延1号踏切
高架から下りてきたところにある現在の中延1号踏切(旧中延5号踏切)。
旗岡八幡神社
踏切北側から少し西に向かったところにある旗岡八幡神社。
由緒書きによれば長元元年(1028年)に平忠常の乱を平定する途中、源頼信がこの地で霊威を得て八幡神を奉斎(神を祀ること)したことに始まるという。
高台に陣を敷き源氏の白旗をなびかせた様子が見事だったことから旗が岡、旗の台という地名になったとされている。
桜
頃合いよく神社の桜が咲いていた。
中延2号踏切
荏原町駅前にある中延2号踏切。
荏原という地名は古く飛鳥時代まで遡れるといい、7世紀にはすでに文献に登場する。荏胡麻が繁茂していた野原だったからとする説や、アイヌ語に由来するのではとする説などがあり地名の由来は定かではない。
荏原郡は現在の品川区から大田区、目黒区、世田谷区南部、川崎市の一部までを含む地域で、701年の大宝律令で郡として成立する以前から荏原評(えばらのこおり)があり、「无射志国荏原評」と記された瓦が川崎市高津区で見つかっている。
東京市35区時代は荏原区となっており、それ以前が荏原町であったが昭和2年(1927年)以前は平塚(ひらづか)町であった。
法蓮寺
荏原町駅北側にある日蓮宗法蓮寺。
徳川第十一代将軍家斉と住職であった日詮上人が相撲を取ったという伝承がある。
立会川緑道
荏原町駅西側には立会川が流れていたが、現在は暗渠化され立会川緑道となっている。
荏原町1号踏切
立会川緑道西側にある荏原町1号踏切。
立会川は大井町線北側を並走して踏切右奥で南に曲がっている。
荏原町2号踏切
荏原町2号踏切の南側路面には大きく「この先行き止り」と書かれている。北側が立会川緑道に突き当たっており車両は通行できないためだ。
ここから西側は旗の台駅で池上線を築堤と高架で越えているため踏切はない。
桁下2.4m
旗の台駅へ向かって高度を上げていく大井町線の下を通る道路。
架道橋
旗の台駅東側の「ふれあいロード」が大井町線の下を通る。
by Natrium