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尾山台1号~等々力3号踏切
地図
OpenStreetMapで尾山台駅から上野毛(かみのげ)駅までを見る。
尾山台駅から等々力(とどろき)駅までの間では大井町線は九品仏川上流の谷筋に沿っているが、等々力駅西側にある等々力渓谷の北端部分で谷沢川沿いになる。谷沢川は多摩川の方から等々力渓谷の谷を刻んでいき台地を緩やかに流れていた九品仏川の流路を奪って行った(河川争奪)という説が有力視されている。
九品仏駅から西側で道路が綺麗に格子状になっているのは、大正13年(1924年)から昭和29年(1954年)に渡って実施された玉川全円耕地整理事業という大規模な区画整理によるもので、旧玉川村(現在の世田谷区玉川地区)全体を17工区に分け順次区画整理していくという事業だった。
玉川村は明治22年(1889年)に等々力村、瀬田村など6村と近隣各村の一部を合併して誕生した自治体で、昭和7年に荏原郡の世田谷町、松澤村、駒澤村と合併して東京市世田谷区となった(当時は砧・千歳地区は未編入)。
踏切跡
尾山台駅上りホームに突き当たる道路。国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると、ここにも踏切があったようだ。
ここからの写真は2026/3/7撮影。
尾山台1号踏切
尾山台駅前の尾山台1号踏切。
南側(写真右)はハッピーロード尾山台という商店街になっている。実は尾山台駅のあるところは旧尾山村ではなく等々力村の領域にあり、元の尾山村はもうすこし南にあった。元は「小山(おやま)村」だったが、同じ荏原郡に「小山(こやま)村」があり(現在の品川区小山)紛らわしいので改名したという。
旧踏切
尾山台1号踏切と2号踏切の間にある突き当たりの道路を南側から見たところ。ここも昭和22年(1947年)の空中写真では踏切になっている。
尾山台2号踏切
西に進んだところにある尾山台2号踏切。
行き止まり
その西側にある突き当たりも昭和22年の空中写真では踏切になっている。
尾山台3号踏切
尾山台3号踏切は目黒通りの陸橋ができる前に陸橋西側にあったが、陸橋完成に伴い昭和39年(1964年)に廃止された。
南北に通っていた旧道が廃止されてしまったため、元の踏切位置はわからなくなってしまっている。
構内踏切
等々力駅の駅舎は島式ホームの西端にあり、現在でも南北の道路から駅舎に向かう構内踏切が残っている。
等々力1号踏切
等々力駅西側の等々力1号踏切から等々力駅方向を見たところ。写真奥の駅舎部分に構内踏切がある。
「とどろき」といえば一般的には「轟」と書くと思うが意味としては同じで駅南側にある等々力渓谷の滝が轟く様子が名前の由来であるとする説などがある。
川崎市中原区にも等々力という地名があるが、江戸時代の享保10年(1725年)に多摩川の流路が付け替えられるまでは地続きで一つの村だった。明治45年(1912年)に多摩川右岸の飛地は神奈川県橘樹郡中原村に移管されている。
踏切ではない?
等々力1号踏切から西に向かったところにいかにも踏切があったかのような突き当たりがあるのだが(写真は北側から見たところ)、全国Q地図の東京都3千分の1地図(1969〜1970年)を見ると南側には道路がないのがわかる。
どうやらここは踏切ではなかったようだ。
等々力2号踏切
南側の谷沢川に架かる権蔵橋から等々力2号踏切を見る。
旧踏切
谷沢川右岸の崖上にある行き止まりは昭和22年の空中写真で踏切に見える。
等々力3号踏切
大井町線としては最後の踏切になる等々力3号踏切。
上野毛駅方向
等々力3号踏切から上野毛駅方向を見たところ。
上野毛駅は高台の切り通しにあり、ここから写真奥には跨線橋が並んでいる。
上野毛駅
上野毛駅の跨線橋は大きな屋根を持っている。
野毛(のげ)という言葉は崖を意味するとされ、上野毛駅西側には多摩川の古い蛇行で削られた崖(国分寺崖線)がある。
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