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下神明1号~戸越公園9号踏切

OpenStreetMapで戸越公園駅周辺から中延駅までを見る。
大井町駅から戸越公園駅手前までの間、大井町線は開業当時から高架線で踏切はない。
大井町線は昭和2年(1926年)に目黒蒲田電鉄(のちの東急)が大井町〜大岡山間を開通させたことに始まる路線で、昭和38年(1963年)から昭和54年(1979年)までは田園都市線の一部として扱われていた。
大井町駅から戸越公園駅手前までの間、大井町線は開業当時から高架線で踏切はない。
大井町線は昭和2年(1926年)に目黒蒲田電鉄(のちの東急)が大井町〜大岡山間を開通させたことに始まる路線で、昭和38年(1963年)から昭和54年(1979年)までは田園都市線の一部として扱われていた。

戸越公園駅の手前、大原通りが渡る下神明1号踏切。
現在、ここから戸越公園4号踏切まで残っている6ヶ所の踏切を立体交差化する計画が進められている。
ここからの写真は2026/3/24撮影。
現在、ここから戸越公園4号踏切まで残っている6ヶ所の踏切を立体交差化する計画が進められている。
ここからの写真は2026/3/24撮影。

戸越公園駅のすぐ東側にある下神明2号踏切。
踏切北側が不自然な直角カーブになっているのは、平成25年(2013年)に戸越公園駅のホームを延伸するため移設されたことによる。
踏切北側が不自然な直角カーブになっているのは、平成25年(2013年)に戸越公園駅のホームを延伸するため移設されたことによる。

現在はホームに突き当たって終わっている移設前の旧下神明2号踏切。
戸越公園駅のホームはこの踏切で阻まれていたため20m車3両分しかなく、大井町寄りではみ出した車両(18m車6両編成では2両分)のドアを開けないドアカットが行われていた。
戸越公園駅のホームはこの踏切で阻まれていたため20m車3両分しかなく、大井町寄りではみ出した車両(18m車6両編成では2両分)のドアを開けないドアカットが行われていた。

南側から旧下神明2号踏切の跡を見たところ。かつてはまっすぐ踏切へ向かっていた。

ちょっと戻って下神明1号踏切から北に向かったところにある戸越公園。
江戸時代初期に肥後細川家下屋敷だった場所で、園内には大きな池がある。
江戸時代初期に肥後細川家下屋敷だった場所で、園内には大きな池がある。

戸越公園駅西側の戸越公園1号踏切は「とごし公園通り」にある。

四間通りが東西に渡る戸越公園2号踏切。

戸越公園2号踏切から中延駅方向を見たところ。
やや南向きにカーブしていく先に2つの踏切が見える。
やや南向きにカーブしていく先に2つの踏切が見える。

戸越公園3号踏切はやや小ぶりな印象。

戸越公園4号踏切はだいぶ高い位置にあり、道路の方が坂を上る形になっている。
昭和32年(1957年)に次の戸越公園5号踏切から中延4号踏切まで立体交差化された際に嵩上げされたのだと思われる。
現在、この踏切も高架化する計画が進んでいる。
※東急100年史では踏切の廃止は1958年度となっている。鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション40「東京急行電鉄1970」の記事では工事竣工(完成)は昭和32年7月とある。
昭和32年(1957年)に次の戸越公園5号踏切から中延4号踏切まで立体交差化された際に嵩上げされたのだと思われる。
現在、この踏切も高架化する計画が進んでいる。
※東急100年史では踏切の廃止は1958年度となっている。鉄道ピクトリアルアーカイブセレクション40「東京急行電鉄1970」の記事では工事竣工(完成)は昭和32年7月とある。

西側から見ても坂道になっている。

その坂道の手前から線路方向を見ると、高架化で廃止された戸越公園5号踏切の跡が見える。
アプローチの途中にあるため高架化時に断ち切られてしまったようだ。戸越公園駅付近の立体交差化工事が進むと、ここは再び通れるようになるらしい。
アプローチの途中にあるため高架化時に断ち切られてしまったようだ。戸越公園駅付近の立体交差化工事が進むと、ここは再び通れるようになるらしい。

次の戸越公園6号踏切は中延架道函渠というプレートがついた架道橋になっている。

第二京浜手前の中延第2可動橋が戸越公園7号踏切の跡。

国道1号第二京浜国道に戸越公園8号踏切があった。

中延駅前には戸越公園9号踏切があった。