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山下1号~松原4号踏切

OpenStreetMapで山下駅周辺を見る。
山下駅は北沢川の谷が駅北側を東西に流れているため低い位置に駅があり、小田急線は開業時から築堤で世田谷線の上を通っていたが、小田急線の連続立体交差化工事で小田急側は高架線になっている。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「旧1万地形図 経堂」(大日本帝國陸地測量部, 1940)
- 「昭和22年(1947年)空中写真」(米軍撮影)
- 「昭和38年(1963年)空中写真」(国土地理院撮影)
・キャンブックス「玉電が走った街 今昔」(林順信/JTBパブリッシング, 1999)
・東急100年史
・がんばれぼくらの世田谷線
山下駅は北沢川の谷が駅北側を東西に流れているため低い位置に駅があり、小田急線は開業時から築堤で世田谷線の上を通っていたが、小田急線の連続立体交差化工事で小田急側は高架線になっている。
参考資料:
・国土地理院Webサイト
- 「旧1万地形図 経堂」(大日本帝國陸地測量部, 1940)
- 「昭和22年(1947年)空中写真」(米軍撮影)
- 「昭和38年(1963年)空中写真」(国土地理院撮影)
・キャンブックス「玉電が走った街 今昔」(林順信/JTBパブリッシング, 1999)
・東急100年史
・がんばれぼくらの世田谷線

山下駅北側には構内踏切が残っている。
この写真は2025/8/2撮影。
この写真は2025/8/2撮影。

接近方向を示す標識には「山下構内」と記載されている。
ここからの写真は2026/5/30撮影。
ここからの写真は2026/5/30撮影。

山下1号踏切は駅から結構離れた場所にある。
当初この踏切の北側(下高井戸寄り)に前田停留場を設置する計画があったそうだが、開通前に山下駅の位置に山下停留場を設けることに変更され、ここに停留場が造られることはなかった。
当初この踏切の北側(下高井戸寄り)に前田停留場を設置する計画があったそうだが、開通前に山下駅の位置に山下停留場を設けることに変更され、ここに停留場が造られることはなかった。

東側(写真奥)が丁字路になっている山下2号踏切。

赤堤通りが渡る山下3号踏切は交通量が多い。

OpenStreetMapで六所神社から下高井戸駅までを見る。
世田谷線はここでは南北にまっすぐ走るが、途中に旧踏切と思われる場所が4ヶ所、旧停留場跡が2ヶ所あるので合わせて見ていこう。
世田谷線はここでは南北にまっすぐ走るが、途中に旧踏切と思われる場所が4ヶ所、旧停留場跡が2ヶ所あるので合わせて見ていこう。

六所神社前で南北に斜めに線路を渡る山下4号踏切。

踏切南側に六所神社停留場があった。昭和24年(1949年)に松原停留場に移設統合されている。

順番ば逆になるが、六所神社前停留場跡の南側(山下寄り)にかつて踏切があった。

山下4号踏切と5号踏切の間、昭和15年(1940年)の旧1万地形図「経堂」では写真左奥に見える駐車場の前あたりに旧道と踏切が描かれているが、昭和22年の空中写真には見当たらない。
この写真は2025/7/24撮影。
この写真は2025/7/24撮影。

松原駅手前の山下5号踏切。
ここからの写真は2026/5/30撮影。
ここからの写真は2026/5/30撮影。

赤堤公園南側に北沢川支流の溝渠を渡っていた鉄橋がそのまま残されている。川の方は暗渠になっているようだ。
鉄橋跡の北側には、昭和38年の空中写真を見ると踏切がある。東急100年史資料編の踏切数では昭和43年(1968年)に松原1号踏切が廃止されているとあり、ここが旧松原1号踏切であったと思われる。
鉄橋跡の北側には、昭和38年の空中写真を見ると踏切がある。東急100年史資料編の踏切数では昭和43年(1968年)に松原1号踏切が廃止されているとあり、ここが旧松原1号踏切であったと思われる。

赤堤公園北側にも昭和38年の空中写真で踏切跡があり、昭和22年の空中写真では踏切になっている。
さきほどの踏切が旧松原1号踏切であるとすれば、ここは番号がつく前に廃止されていたようだ。
さきほどの踏切が旧松原1号踏切であるとすれば、ここは番号がつく前に廃止されていたようだ。

ふたつの踏切跡よりも北側にある松原1号踏切。
写真右手前にある松原1号資材置場には、昭和24年(1949年)まで七軒町停留場の上りホームがあった。
写真右手前にある松原1号資材置場には、昭和24年(1949年)まで七軒町停留場の上りホームがあった。

松原2号踏切の南側にも溝渠があるが、こちらは線路の付近で開渠として残っている。

前後の道路よりも幅が狭い松原3号踏切。

世田谷線が大きく西へカーブして下高井戸駅に入っていくところにある松原4号踏切。

下高井戸駅には構内踏切があるが、通勤時間以外は閉鎖されていて利用できない。ただし、警報器と遮断機は終日稼働していた。