Natrium.jp
学芸大学1号~5号踏切

OpenStreetMapで学芸大学駅から都立大学駅間を見る。
1969年に中目黒・都立大学間で連続立体交差工事が行われたことによりここでは5つの踏切が廃止されている。
1969年に中目黒・都立大学間で連続立体交差工事が行われたことによりここでは5つの踏切が廃止されている。

学芸大学1号踏切の跡は現在では駅ホームの下になっている。
このページの写真はすべて2026/2/19撮影。
このページの写真はすべて2026/2/19撮影。

唐ヶ崎通りに学芸大学2号踏切があった。

東向き一方通行となっている学芸大学3号踏切跡。

碑文谷(ひもんや)公園通りが南北に通る学芸大学4号踏切跡。
現在道路はまっすぐ架道橋の下を通っているが、踏切は線路に直交する形で道路の方がいったん西側に寄っていた。
現在道路はまっすぐ架道橋の下を通っているが、踏切は線路に直交する形で道路の方がいったん西側に寄っていた。

踏切跡の北側にある碑文谷公園。
立会川の水源の一つになっている碑文谷池(弁天池、三谷池、鴨池、御洗水とも)は水田灌漑用として維持管理されてきたが、昭和7年(1932年)東京市に寄付され公園となった。
碑文谷は応永32年(1425年)の「日運記」が初出とされる古い地名で、現在は碑文谷八幡宮に祀られている碑文石に由来すると言う伝承が残っている(異説もある)。
(参考:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「目黒区史 本編 第3版」など)
立会川の水源の一つになっている碑文谷池(弁天池、三谷池、鴨池、御洗水とも)は水田灌漑用として維持管理されてきたが、昭和7年(1932年)東京市に寄付され公園となった。
碑文谷は応永32年(1425年)の「日運記」が初出とされる古い地名で、現在は碑文谷八幡宮に祀られている碑文石に由来すると言う伝承が残っている(異説もある)。
(参考:国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「目黒区史 本編 第3版」など)

碑文谷池の中心には厳島神社がある。

学芸大学4号踏切跡の南側にある車止め付きの細道は立会川暗渠の水路敷で、かつては鉄橋が架かっていた。

東横線東側の側道が突き当たりになる場所に学芸大学5号踏切があった。
突き当たりの先に保線用車両が停まっているのが見えるが、ここには昭和27年(1952年)に留置線の敷地を利用して東横車輌工事(現東急テクノシステム)の碑文谷工場が設置され、国鉄から譲り受けた戦災車の復旧工事が行われた。付近の高架化工事に合わせて昭和43年(1968年)に元住吉工場に機能を移し、敷地の西側はふたたび留置線として使用されている。
突き当たりの先に保線用車両が停まっているのが見えるが、ここには昭和27年(1952年)に留置線の敷地を利用して東横車輌工事(現東急テクノシステム)の碑文谷工場が設置され、国鉄から譲り受けた戦災車の復旧工事が行われた。付近の高架化工事に合わせて昭和43年(1968年)に元住吉工場に機能を移し、敷地の西側はふたたび留置線として使用されている。

南側から碑文谷工場跡を見る。敷地東側はゴルフ練習場となっている。
写真手前方向、都立大学駅までは当初から切り通しになっていて踏切はない。
写真手前方向、都立大学駅までは当初から切り通しになっていて踏切はない。