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大倉山1号~菊名4号踏切
地図その1
OpenStreetMapで大倉山駅周辺を見る。
大倉山・菊名駅間では複数回に分けて踏切の廃止(立体交差化)が行われ踏切番号が振り直されているため、大倉山1号〜3号踏切は新旧両方ある。
大倉山駅
大倉山駅は北側が高く、南側が鶴見川右岸の低地になっているため駅前の架道橋は踏切ではなかったと思われる。
ここからの写真は2026/5/2撮影。
旧大倉山1号踏切
大倉山駅から南へ進んでいくと、コンビニ脇に大倉山架道橋という細いアンダーパスがあるが、ここが昭和49年(1974年)に廃止された旧大倉山1号踏切の跡。道路側を掘り下げて立体交差化している。
旧大倉山2号踏切周辺
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)に現在の新幹線と環状2号線を書き足したもの。
旧大倉山2号踏切は新幹線と環状2号線の間にあった。
旧大倉山2号踏切
環状2号線の陸橋から北側を走る新幹線方向を見たところ。
写真奥より右に側壁の色が異なっている場所があるが、その手前あたりに昭和42年(1967年)に廃止された旧大倉山2号踏切があった。
東側
線路東側から見たところ。写真手前から線路に向かっている道は水路跡で、道路は線路脇を右奥から来て写真左の架線柱あたりで踏切として西側に渡っていたと思われる。
大倉山1号踏切
環状2号線の南側にあった大倉山1号(旧3号)踏切の跡。菊名駅までを立体交差化したことに伴って平成3年(1991年)に踏切としては廃止された。
大倉山2号踏切
次の大倉山2号(旧4号)踏切跡は車両通行止めだったが、立体交差化後に拡幅されて片側一車線の道路になった。
地図その2
OpenStreetMapで菊名駅周辺を見る。
菊名駅は北側に踏切があったためホーム有効長が足らず、8両編成の渋谷方1両でドアカットを行っていた時期がある。
また、菊名駅南側には旧国鉄横浜線(現JR)と貨物連帯輸送を行うための授受線(連絡線)が設定されていたが、東横線と横浜線両方の菊名駅を嵩上げする工事が行われた昭和41年に廃止されている。
ところで、横浜市三千分一地形図画像(昭和初期)「菊名」(横浜市復興局, 1947)を見ると菊名1号踏切の南側と菊名4号踏切の南側にそれぞれ1つずつ踏切が描かれているのだが、国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ても踏切はない。
架道橋
大倉山3号踏切を廃止するために北側に代替ルートとして造られた架道橋。
大倉山3号踏切
架道橋の完成を待って平成5年(1993年)に廃止された大倉山3号(旧5号)踏切を西側から見たところ。
現在は菊名駅北側に大きく張り出している跨線人道橋の入口になっている。
嵩上げ工事が行われる前の菊名駅は地盤が低く大雨で冠水することがあり、踏切左側に仮設ホームを作って渋谷方向への折り返し運転を行なっていたそうだ。
突き当たり
東側から大倉山3号踏切跡を見たところ。
水路跡
すぐ南側に東から斜めにぶつかる道があるが、ここは踏切ではなく水路の跡。
大倉山6号踏切跡
さらにその南側に東西から跨線人道橋に上る階段があるが、昭和41年(1966年)までここに大倉山6号踏切があった。写真は西側から見たところ。
八杉神社と大豆戸城跡
菊名駅西側にある八杉神社の入口から、裏手の高台にあった大豆戸城跡方向を見たところ。
八杉神社は地元にあった八王子神社と杉山神社が合併して昭和22年(1947年)に創立されたという。大豆戸はこのあたりの旧村名で、大豆を神社(八杉神社ではなく大倉山駅東側にある師岡熊野神社とされている)に献上していたからという伝承もあるが窪地を意味する「真間処(ままど)」に縁起の良い「大豆」の字をあてたとする説が有力で、「だいずど」ではなくこれで「まめど」と読む。
大豆戸城は後北条氏の家臣であった小幡伊賀守泰久の居城とされているが、後背に見える高台に登ってみてもこれといった遺構は残っていない。
菊名駅東口
東急側の菊名駅東口。菊名駅はもともと菊名1号踏切付近に駅を作る予定であったといい、駅前にほとんどスペースがない。
駅前の旧綱島街道には川崎鶴見臨港バスの菊名駅前バス停があるが、バスが止まってしまうとご覧の通り道路を車両が通り抜けることは難しい状態になる(道路は北向き一方通行)。
ここからの写真は2026/5/5撮影。
授受線分岐跡
横浜線ガードの南側、細い敷地に焼肉店があるがそのあたりで横浜線と授受線が分岐していたらしい。
自転車駐車場
振り返って東側。ビルと高架線の間にある細い隙間に自転車駐車場があるが、写真奥で授受線跡に沿って右へカーブして行く。
菊名1号踏切
坂道の途中にある菊名1号踏切。
引き上げ線
菊名1号踏切から菊名駅方向を見たところ。
上下線の間に引き上げ線があるが、かつて日比谷線の乗り入れ終着駅であったときに使用されていたもので、平成25年(2013年)に東横線が副都心線乗り入れに伴い日比谷線との乗り入れを終了したあとは各駅停車の折り返しなどに使われている。8両分しか長さがないため、10両の急行はここに入れずホームで折り返していく。
踏切跡
横浜市の昭和初期地図に描かれている踏切跡の一つ目は菊名1号踏切のすぐ隣にあった。
写真は北側から見たところで、南側にあった道路の跡は町内会の会館として利用されている。
この写真は2026/5/23撮影。
暗渠
東横線が南へカーブしていくところに暗渠がくぐる架道橋がある。ここには踏切はなかった。
ここからの写真は2026/5/5撮影。
老朽化
だいぶ痛みが激しい気はするのだが…
菊名2号踏切
菊名2号踏切は旧綱島街道(写真手前)と水路敷の間にある大型車通行禁止の踏切。
菊名3号踏切
旧綱島街道が渡る菊名3号踏切を西側(妙蓮寺寄り)から見たところ。
北向き(菊名方向、写真奥向き)一方通行になっているが通行量が多く、国土交通省による「改良すべき踏切道」に指定されているが同じく指定されている妙蓮寺3号踏切同様、今のところ有効な対策は決まっていないようだ(指定後に歩道部分にカラー舗装が施されてはいる)。
菊名4号踏切
次の菊名4号踏切は打って変わって線路東側にある谷間の集落に向かう細道になっている。
地図その3
OpenStreetMapで妙蓮寺駅周辺を見る。
菊名4号踏切南側の踏切跡は菊名池の東側にあった。
踏切跡
踏切跡を東側から見たところ。ちょうど道路と線路の高さが同じになるあたりに踏切があったようだ。
横浜市の昭和初期地図では写真手前の道が水道道までつながっているが、現在は行き止まりになっている。西側はマンション敷地になってしまっていて痕跡はない。
この写真は2026/5/23撮影。
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