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祐天寺1号~9号踏切

OpenStreetMapで祐天寺駅から学芸大学駅間を見る。
1969年に中目黒・都立大学間で連続立体交差工事が行われたことによりここでは8つの踏切が廃止されたが、実は1963年に廃止された祐天寺9号踏切もあった。
1969年に中目黒・都立大学間で連続立体交差工事が行われたことによりここでは8つの踏切が廃止されたが、実は1963年に廃止された祐天寺9号踏切もあった。

祐天寺1号踏切は昭和通りにあった。
このページの写真はすべて2026/2/19撮影。
このページの写真はすべて2026/2/19撮影。

祐天寺2号踏切は線路の東側に五叉路がある。

駒沢通りから西に入る細い路地に祐天寺3号踏切があった。

駒沢通りの五本木バス停そばに祐天寺4号踏切があった。

祐天寺5号踏切は駒沢通りから南に入る路地にあった。この日は架道橋の補修工事中。

すぐ近くでは駒沢通りと目黒通りの間をつなぐ補助26号線の工事が進んでいる。用地取得は完了しており、来年(2027年)にも開通となる可能性があるようだ。

鷹番通りから東に入ったところにある祐天寺6号踏切跡。

祐天寺7号踏切は鷹番通りが東横線を斜めに渡るところにあった。

鷹番通りから西に入る細道は全国Q地図の東京都3千分の1地図(1959〜1960年)を見ると踏切があったようにも見えるのだが、その後に地図では行き止まりになっていた。空中写真で見る限りは踏切があるようには見えない。
高架化工事後に北側の側道との間に通路が作られて通り抜けられるようになっている。
高架化工事後に北側の側道との間に通路が作られて通り抜けられるようになっている。

学芸大学駅北側の通りに祐天寺8号踏切があった。ここまでが連続立体交差化で廃止された踏切となる。

さて、最後に学芸大学駅を東側から見たところ。ちょうど駅改札前の通路付近に祐天寺9号踏切があったが、1963年に地下道化されて廃止された。
学芸大学駅は東横線開通時には地元の地名を取った碑文谷(ひもんや)駅であったが、昭和11年(1936年)に港区北青山三丁目から東京府青山師範学校が移転してきたことに伴い青山師範駅となり、昭和18年(1943年)に校名変更に合わせ第一師範駅、昭和27年(1952年)に学芸大学駅に改称した。
東京学芸大学は昭和39年(1964年)に小金井市へ移転しているのだが、紛らわしいと言う意見が出つつも地元住民は慣れ親しんだ駅名を変えることに反対する意見が多く、現在も駅名はそのままになっている。
学芸大学駅は東横線開通時には地元の地名を取った碑文谷(ひもんや)駅であったが、昭和11年(1936年)に港区北青山三丁目から東京府青山師範学校が移転してきたことに伴い青山師範駅となり、昭和18年(1943年)に校名変更に合わせ第一師範駅、昭和27年(1952年)に学芸大学駅に改称した。
東京学芸大学は昭和39年(1964年)に小金井市へ移転しているのだが、紛らわしいと言う意見が出つつも地元住民は慣れ親しんだ駅名を変えることに反対する意見が多く、現在も駅名はそのままになっている。