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前谷津川周辺の谷戸と水路敷(石川町公園〜赤塚新町)その3
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突き当たり
水路敷は進んでいくと道路に突き当たる。
はみ出し
そこから道路沿いに左に曲がった水路敷は、南に向かって再び右折するが、水路敷が道路にはみ出してきているのがわかる。
東上線
その水路敷を進んでいくと、東武東上線に突き当たってしまう。水路敷そのものは線路の南側から流れてきていたようだ。
南側
東上線の南側に水路敷の上流側があった。民家の軒先のようなので、立ち入るのは遠慮するとしよう。
川越街道へ
水路敷は川越街道から続いている。
ここからの写真は2013/9/14撮影。
川越街道
川越街道に出た。どうやらここがこの支流の上流端となると思われる。
供養塔
川越街道に出てきたところに立っている供養塔。風化が進んでいて、何が書かれているのかはあまり読み取れない。
上流?
川越街道の南側、駐車場の横にもしかしたら上流部分かもしれない隙間を見つけた。駐車場の途中で途切れており、このあたりに水源があったのかどうかはよくわからない。
この写真は2020/10/10撮影。
北側
さて、下赤塚小学校北側まで戻り、改めて南北の水路が合流している場所から北向きに進んでみよう。水路敷はすぐに西向きに曲がっているのがわかる。ここから、前谷津川水系で最も西側の支流をいくつか辿っていく。
ここからの写真は2019/6/20撮影。
上り
西に向いた水路敷は徐々に坂道を上っていく。
いつもの風景
その先はよくある水路敷の路地裏風景。
斜面
車止めで道路にぶつかった水路敷はどうやら左側から流れてきているようだ。
上流
上流に向かう水路敷を見つけた。
支流
一方、一本北側の道路から、北へ向かって支流が伸びている。
幅広
さらに北側の道路に出たところで、左にいかにもここに水路敷がありましたという幅の広い道路。
未舗装
赤塚二丁目児童遊園に向かって、未舗装の水路敷が残されている。
児童遊園
児童遊園側から水路敷を下流方向に見る。右の植え込みの下あたりまで、水路敷を分けるように通路になっているが、水路敷として辿れるのはここまでのようだ。谷筋は都道446号(松月院通り)の六道の辻バス停付近まで続いている。
二又
再びさきほどの西へ向かう支流へ戻ってきた。南北に並走している道路は写真中央で分岐しているが、その先の民家があるところいきなり左に回り込んでいる。
北へ
途中、北向きにもう一方細い道があるが、水路敷かどうかはわからない。
クランク
四方全てを道路と水路敷に囲まれた住宅の脇を抜けていく。
蓋暗渠
車止めの向こうに、立派な蓋暗渠が見える。
ここからの写真は2013/9/14撮影。
行き止まり
蓋暗渠は東武東上線に突き当たって行き止まりになっていた。
続き
線路の南側にそのまま蓋暗渠が続いているが…
ここからの写真は2019/6/20撮影。
通り抜けできません
入り口には板橋区による「この先通り抜けできません」という大きな看板があった。
封鎖
たしかに進んでいくと途中でフェンスによって封鎖されていて通り抜けはできない状態だった。
水路です
ぐるっと川越街道まで回ってきて、上流端から水路敷を見る。封鎖されてゴミ集積所になってしまっているが、看板には「ここは水路です」とはっきり書かれている。
庚申塔
川越街道の南側にあるタバコ店の前には、大きな庚申塔文字塔が残されている。なにやら、現代美術のようにも見えるフォルムがちょっと珍しい。
西へ
さきほどの線路脇から南へ向かっていた蓋暗渠だが、実は同じ場所から西に向かっている蓋暗渠もある。これが前谷津川ではもっとも西から流れてくる水路になる。最後にこれを上流端まで向かってみよう。
踏切脇
東上第54号踏切の脇は道路がかさ上げされているが、水路敷はそのまま道路をまたいで続いている。
舗装路
道路の西側は蓋暗渠ではなく舗装された水路敷になっていた。
上流端
西日で逆光気味になってしまったが、マンションの敷地に突き当たる形で水路敷は上流端になっている。かつては湧き水があったのだろうか。
この向こうには2本ほど道路を挟んで松月院通りがあり、その向こうには白子川の支流である百々向(すずむき)川が流れている。
榛名神社
最後におまけ。下赤塚小学校の西側、なんということのない路地にフェンスで封鎖された小祠がある。祠そのものよりも左右の倉の方が立派なくらいだが、祠の脇には「榛名神社」、「満行宮」という日本の石柱があり、Google Mapでは榛名神社とされている。
榛名神社といえば群馬県の榛名山を御神体とする神社が有名で、そこから勧請されたものと思われる。榛名神社は延長5年(927年)完成の延喜式神名帳にも載る極めて古い神社で、第二代綏靖天皇の時代に始まるという伝があり、用明天皇元年(586年)創建とも伝わっている。神仏習合の時代には榛名満行権現と称し、満行宮ともされていたので、ここにある石柱はそれに対応しているのだと思われる。

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