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落合川とその支流(こぶし沢流と竹林公園)
地図その1
本題のこぶし沢流と竹林公園に行く前に、OpenStreetMapで落合川の新落合橋から西武池袋線までの湧水や蛇行跡を見ておこう。今回は東久留米市湧水散策ガイドマップを参考にしていく。
長寿池
右岸の新落合橋と落合橋の間に見える水路敷の先端にあるのが長寿池。落合川に流れ込む水路敷は暗渠化されているが、しっかりとした池が残っている。
この写真は2023/6/7撮影。
廻国供養塔
長寿池のほとりに立つ廻国供養塔。宝暦13年(1763年)に讃岐(香川県)から六十六部廻国巡礼の旅に来た全無という人物のために建てられたものだそうだ。落合川には、さらに上流の神明橋たもとにも石橋供養を兼ねた石橋廻国供養塔がある。
ここからの写真は2023/1/21撮影。
蛇行跡
続いて落合橋から上流方向を見たところ。右岸側に広がっている部分が落合川の蛇行跡で、下流寄りには東久留米市の湧水点を示す看板があった。
谷筋
ところで、蛇行跡よりも少し上流、南に向かって立野川の間にわずかな谷筋が伸びている。落合川からは谷筋が見えないので、左岸側の道路まで行って谷筋を見たところ。写真のあたりではほとんど平坦だが、写真左(東)がやや高くなっているようにも見える。
先へ進むともう少し谷筋がはっきりしてくるが、必ずしも谷筋と道路が一致していないためわかりにくい。
ここからの写真は2023/6/25撮影。
浅間第2緑地
谷筋はすぐにやや西寄りに向きを変え、どんどん遡っていくと西武池袋線の脇にある浅間第2緑地(東久留米市内には○○第●緑地という公園が多数あるのだが、数字部分が漢数字だったり英数字だったり統一されていない気がする)までたどり着く。
不動橋
落合川に戻ってさらに上流、不動橋の左岸側にも蛇行跡が見える。
ここからの写真は2023/1/21撮影。
湧水点
不動橋左岸のたもとにも湧水点の看板がある。
不動明王
蛇行跡に立つ不動明王。さきほどの廻国供養塔からはかなり時代が下った文政9年(1826年)の造立という。
グラウンド
不動橋から上流を見たところ。右岸側に大きく広がる不動橋グラウンド(写真手前)と不動橋公園(写真奥)が蛇行跡。
水路跡
不動橋南詰から不動橋グラウンドの南側を見たところには、明らかに枯れた水路の跡と思われる凹みが残っている。
ここは東久留米市水路・河川網図(以下「河川網図」とする)では、先ほどの不動明王がいた蛇行跡が廃減水路(河川網図で廃止された水路敷を指す)ではなく、現用水路として記載されている。東久留米市中央図書館に所蔵されている河川網図の最後の版は2001年なので、そのころはまだ水が流れていたのかもしれない。
仮橋
上流側の不動橋広場には、水路跡部分を渡る橋のような構造が残っている。実際には細い舗装路で橋ではないのだが、水が流れていた頃にはここに橋がかかっていたとも思える。
分岐
不動橋広場上流端から落合川との分岐点方向を見たところ。
地図その2
OpenStreesMapで落合川の竹林公園支流を見る。
橋梁跡
西武池袋線の西側に残る「たての緑道」こと旧中島航空金属田無製造所引込線(東久留米駅構外線)の落合川橋梁跡。
空中写真などをよく見てみると、西武鉄道管理地の看板と、後ろに写っている橋台の間に水路敷があるのがわかる。
ここからの写真は2023/6/25撮影。
こぶし沢流
管理地の下流側に見える茂みの下に大きな排水口があり、かなりの水が流れ出てきている。ここは、たての緑地と落合川の間にある支流「こぶし沢流」の出口となっているが、もともとはこのあたりは落合川本流の蛇行跡だった。
水辺
排水口の上にある茂みからは、上流方向から流れてくる水路を見ることができる。
暗渠
管理地の裏側に入ってくことはできないが、崖下の水路敷は暗渠化されているようだ。
合流
西側の道路まで回り込んで水路敷を見たところ。写真手前左から伸びる水路敷は落合川蛇行跡で、こぶし沢流は写真右奥から合流してきている。まずは竹林公園に向かってこぶし沢流を見ていこう。
窪み
さらに道路を進んでいくと、落合川蛇行跡に向かうこぶし沢流の水路敷を見ることができる。
開渠
そこから振り返って上流側は、普通の川になっていた。左側の歩道部分は南沢第六緑地という看板があるが、緑地というよりは遊歩道に見える。
さてこの「こぶし沢流」、東京の名湧水57選にも選ばれている竹林公園の湧水から始まる落合川の短い支流で、立野川や南沢緑地と合わせて落合川水源の一つとなっている。
清流の里
緑地を進んで歩道橋の先に、「こぶし沢清流の里」という看板が建てられた水辺があった。
カルガモ
水辺に人が入れるようにはなっていないが、水面にはカルガモの親子がのんびり泳いでいた。
谷底
緑地の上流端から先は、谷底の川として竹林公園から流れてきており水路を辿っていくことはできない。
手書き看板
竹林公園は親水公園として整備されており立ち入ることができる。写真は公園内にあったなぜか手書きの看板。
ところで東久留米市の説明ページには公園と緑地、広場、遊園の違いが記載されていて、公園は東久留米市の設置、緑地は事業者が整備し市へ譲渡したものだそうだ。
手書きその2
竹林公園はその名の通り水源地に竹が密生しているわけだが、入り口近くではそこそこ明るいものの、奥に入ると密集した竹に日差しがほとんど遮られているような場所もある。
ところで、この看板もなぜか手書き。
スポットライト
竹取物語に出てくる竹取の翁がいたら思わず近寄ってしまいそうな光る竹。実際には木漏れ日がスポットライトのように当たっているだけだが、中にかぐや姫がいるかもしれない(いない)。
流れ
こぶし沢流は竹林公園の北寄りを流れている。写真は水源近くから下流方向を見たところ。
水源
東京の名湧水57選の看板がある水源の湧水。なお、湧水は公園内の他の場所にもある。
紫陽花
ちょうど紫陽花が咲く時期だった。
蛇行跡ふたたび
最後に蛇行跡の続きを見ておこう。右岸の蛇行跡はかなり幅が広い。
戻る
すぐに落合川までたどり着くが、蛇行跡はこの先左岸側にも残っている。
出口
美鳥(みどり)橋の少し下流側に左岸側蛇行跡の出口があり、こちらも少ないが水が出てきている。
稲荷神社
遊歩道となっている蛇行跡を進んでいくと、道路に突き当たったところで崖上に稲荷神社が祀られていた。鳥居の下に豊川閣妙厳寺略縁起と書かれた看板があるのだが、なぜか「妙厳寺」の部分が消されているものの、書かれている内容はこの神社自体の由緒ではなく愛知県豊川市にある曹洞宗円福山妙厳寺(いわゆる豊川稲荷は妙厳寺の通称で、仏教系稲荷信仰の本山のひとつ)の縁起なのではないかと思われる。
ところがこの神社の扁額には「正一位稲荷神社」とあって、これは伏見稲荷の系統ではないかという気もするのだが。
カーブ
稲荷神社の西側は道路になっており、道路の落合川寄りをながれていた旧流路は上流に向かって大きくカーブしていく。河川網図では、こぶし沢流が合流している場所から西側は廃減水路として扱われている。
老松橋
蛇行跡は写真左奥の老松橋あたりから手前に向かって流れてきていた。交差点のあたりが元の老松橋の位置だったはずだ。
庚申塔と常夜燈
老松橋から蛇行跡を下流方向に見たところ、かつての老松橋のたもとに立っている庚申塔と常夜燈。庚申塔は宝暦7年(1757年)の造立で典型的な青面金剛庚申塔、常夜燈は文化元年(1804年)の造立とあり、夜中でもこの辺りに人通りがあったであろうことが想像される。
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