ねりまっぷで
後半部分を見る。
河川改修で大きく変化した下流部分と比べると、上流部分は昭和22年から大きな変化はなかったようだ。
妙福寺は、嘉祥3年(850年)の開創と伝わる古刹で、元は天台宗だったというが元亨(げんこう)2年(1322年)に日蓮宗に改宗して今に至るという。
その妙福寺の南側、写真左のミラーがあるところから、水路敷が西に向かっている。
細い水路敷が寺の南側を進んで行く。
寺の塀沿いに少し進んだところで、水路敷は南へ転進。
道路側から下流方向を見る。細いながらもしっかり「水路敷」のペイントが描かれている。
細い水路敷はもう1ブロック南へ進んでいく。
道路に突き当たったところで、水路敷はぷっつりとわからなくなる。西に向かう道路がかつての水路だったはずだが、このあたりではそれらしい雰囲気は残っていない。
そのまま西へ進んで行くと、児童公園の先で再び細い水路敷が現れる。
途中、カクカクと曲がって…
マンションの裏をまっすぐ通り抜けると、水路敷は道路に出たところでクランク状に曲がって、写真矢印の農家横へ進んで行く。
矢印の先は農地の通路として使われていて立ち入るのは難しそうなので、南側の都道233号線へ回ってみよう。
表通りにある「しまむら」の脇に水路敷がひょっこりと姿を現わす。
しまむらの向かい側から下流方向を見る。写真右手の中華料理店前から始まる歩道がどうやらかつては水路だったようだ。
そこから安楽亭の前まで都道233号線に沿って進んだ跡、水路敷は再び道路北側に移り、コンビニと自動車用品店の間、南大泉バス停横の隙間に進んで行く。
道路北側に渡って下流方向を見る。安楽亭の前まで道幅が広くなっている部分が水路敷だ。
さて振り返って隙間を覗くと、そこには枯れているが開渠が残っていた。その先は民家の敷地に挟まれていて通ることが出来ない。
しかたないので、ぐるっと反対側に回ってみる。そこには、練馬区の南大泉防災倉庫があった。水路はここに向かって進んできていたようだ。
ここからの写真は2015/10/3撮影。
防災倉庫の反対側には、水路敷ペイントのある細い道が続いているが、「この先行き止まり」という大きな看板が行く手を阻む。
とりあえず進んでみたが、たしかにしばらくまっすぐ進んだところが行き止まりだった。今回は、ここが終点ということになる。
最後におまけで、妙福寺そばにあるセブンイレブン脇にある水路敷らしき小道。ここもかつては田んぼの間を流れる水路だったのかもしれない。
この写真は2016/7/10撮影。