大泉堀とその支流(北宮ノ脇〜上流端)
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今回は、大泉堀の本流を上流端まで行ってみる。
宮ノ脇川との合流から西へ向かう。しばらくは蓋暗渠が道路に並走している。
このページの写真は2016/7/18撮影。
しばらく進んだ先、下保谷ポンプ場のところで蓋暗渠は道路を左へ離れていく。
食い違いの北側、突き当りには宮ノ脇の字名の元になったと思われる天神社があった。天正年間(1573〜1591)初めに神仏習合時代の日蓮宗の三十番神として創建されたという。かつての下保谷村は日蓮宗が強く、大泉堀支流の脇にある日蓮宗妙福寺の末寺である福泉寺が社の別当寺だったが、明治の神仏分離令で天神社になったという。
伏見通りにぶつかったところで、段差を階段で登ることになる。
伏見通りの西側。わかりづらいが青いフェンスの向こう側に蓋暗渠が復活している。こちらからは入れないので、西側に回り込んでみよう。
西側から下流方向。こちらからは入れそうだが、いずれにせよ行き止まりだ。
再び道路を挟んで食い違い。右側の歩道部分も水路敷のようだ。
蓋暗渠は都営下保谷二丁目第2アパートの北側を流れていく。南側にもう一本支流があるが、それはまた後で訪れてみるとしよう。
このあたりでは珍しい植え込みが整備された場所を進む。
かと思えば、その先はほどよく荒れた感じに。コンビニ脇で都道25号に行き当たるが、ここでは高さは道路と同じようだ。
都道25号を渡った先では、蓋暗渠はいきなり川幅を増すが、三方をガードレールで囲まれて立ち入ることができない。幅広の蓋暗渠はすぐに都道234号の旧道に行き当たる。
都道234号旧道を渡って、通路のように使われているだろう蓋暗渠の続きへ。
すぐに園芸用品店の脇で道路と蓋暗渠は別れていく。ここからは、なぜか蓋が緑色に塗られていて、ここから上流端までこの状態が続いている。
見覚えのある景色。実は5年前に
廃踏切探しの途中で通りかかっていた場所だ。5年前と一見何も変わったようには見えない。
保谷9号踏切の手前で、蓋暗渠は民家の軒先をかすめつつ90度ターン。
すぐに蓋暗渠は西へ向かってまた曲がる。あとは上流端まで一直線だ。
奥にはひばりが丘駅前に立つHIBARITOWERが見えてきた。
ついに上流端の階段までたどり着いた。正面の道路は都道36号。明らかに辿れる蓋暗渠はここまでとなる。
上流端から下流方向を見る。周囲の土地とは、かなりの高低差があることがわかる。
上流端から都道の反対側を見る。「白子川を知っていますか」によれば、もともと大泉堀はこの先で西武池袋線を渡って、住吉町の方から流れてきていたというが、現在は痕跡は残っていないようだ。
保谷11号踏切南側から南の住吉町を見る。
中央の道路、写真の奥の方が若干低地になっており、写真中央の木立のある屋敷の中から湧き水が流れ出していたという。
さて、ここからはさきほどの伏見通り西側で合流していた南側の支流を見ていこう。
その前に寄り道で伏見通り近くにある題目塔。下保谷は日蓮宗の信徒が開拓した土地が多いと言われ、町内のあちこちに髭文字で「南無妙法蓮華経」と彫られた題目塔が見られる。
大泉堀の支流は伏見通りの西側、上の写真の南にある都営保谷二丁目第2アパート南側の道路を流れてきていた。歩道部分がかつての水路と思われる。
アパートの先、民家に沿って水路跡は南へカーブしていくが、写真奥で突き当たって西に進路を変える。
支流の水路敷は、本流と異なりインターロッキング舗装されている。
そのまままっすぐ進んだ水路敷は、駐車場に突き当たって進路を左に変える。
もっとも、昭和22年の空中写真を見ても、ここでは曲がっていたようなので駐車場の方がそれに合わせて作られたのだろう。
駐車場を巻くように、水路敷はすぐに西向きに進路を変える。
きれいに整備された水路敷は、駐車場の奥でいきなり行き止まりとなる。
行き止まりの裏側、都道234号の旧道に回り込んでみる。水路敷部分には、大きなひまわりが咲いていた。
都道234号旧道と都道25号の交差点そばにも題目塔があった。題目塔に書かれた文字は、日蓮上人の筆跡をなぞった書体だという。