Natrium.jp
妙正寺川・井草川の水路敷群(江古田川周辺の水路敷)その1
江古田川全域
OpenStreetMapで江古田川を俯瞰した地図
江古田川(中野区側では「えごた」と読む)は妙正寺川の支流であり、上流の練馬区側では中新井川と呼ばれている。川として残っているのは中野区側だけで上流は暗渠化されている。水源は地図よりも西側にある学田公園あたりとされるが、実際には千川上水から導水するための水路が複数存在する。
今回は下徳殿橋よりも下流、江古田川と呼ばれる範囲の下流側の支流や道水路を見て回っていこう。
江古田分水
続いてOpenStreetMapで江古田川下流東側をフォーカスした地図。
千川上水から導水している流れは江古田分水と呼ばれていたようだ。まずはここから見ていく。
東橋
東橋(あずまばし)下流側に口を開ける排水口が江古田分水の合流地点。いまでも水は流れているようだ。
ここからの写真は2020/2/22撮影。
江古田植物化石層
近辺は「江古田植物化石層」という最終氷河期(旧石器時代、1.6〜1.1万年前)のカラマツなど針葉樹の化石が発見されており、当時の気候が寒かったことを示していると言う。
水路敷
橋の東側には、排水口に向かって斜めに水路敷が残されている。
歩道
橋を渡る道には南北両側に歩道があるが、特に幅の広い北側の歩道が水路敷だった。
停止線
しばらくそのまま歩道を進んでいくと、交差点のかなり手前に「停止線」の標識が置かれた交差点で歩道が途切れている。水路敷はここで左(北)から流れてきている。
ちなみに、停止線がやたらと手前なのはバスが曲がってくるからのようだ。
続き
交差点を左に曲がってみたところ。ここでは道路左(西)側にだけ歩道があり、水路敷であることがわかる。歩道はすぐに終わっており、水路敷は右(東)から流れてくる。
猫と水路敷
右に曲がって猫が横断している水路敷を進んで行こう。
上り
すぐに水路敷は左(北)に曲がっていく。その先の道路に向かって、少し上り坂になっているようだ。
車止め
やたらと幅の広い道を通った跡、車止めのある路地に入る。
江原公園
水路敷は江原公園に突き当たる。江原公園の中を水路が流れていたはずだが埋め立てられてしまっている。
さらに続き
江原公園の北側には再び水路敷が残されていた。
カーブ
ゆるやかに左へカーブしていく。
歩行者専用
曲がった先は歩行者専用道路になっているが、指定時間帯以外は自動車通行可となっている。いや、車は入れないと思うが。
幅広
すぐに突き当たりになるが、北側には幅の広い道路があり、ここが水路敷であったと推測できる。
曲がる
道路の突き当たりには左へ曲がっていく水路敷が見えた。
駐輪場
片側が駐輪場になっているので壁がなく、ちょっと雰囲気が違う水路敷が西へ曲がっていく。
突き当たったら右
またもや突き当たったら右へ曲がって目白通りへ。道路右側の幅広い路肩は、歩道橋に向かっているあたりが水路敷なのだろうと思われる。
欄干
歩道橋の下に欄干と思われるものを発見。
江原観音堂
目白通りを渡り、東福寺江原町別院となっている江原観音堂の北側にある幅広い道路を進んでいく。
作りかけ
さらに幅の広い道路に出た。この道路は区界でぶっつりと切れており、千川通りまでつながっていない。
練馬区へ
江古田分水は区界を越え、練馬区側から流れてきていたと思われる。
千川通り
千川通りに出たところで、江古田分水の上流端ということになる。
小祠
千川通りの北側にあった小祠。写真ではよくわからないが地蔵尊が祀られているようだ。
穴守稲荷神社
そのすぐ西側の路地に穴守稲荷神社がある。神社というよりは民家に鳥居をつけたように見えなくもない。
鳥居
千川通り沿いにも穴守稲荷神社の鳥居が置かれている。
東福寺
出発点の東橋から西へ進んだところにあるのが真言宗豊山派の東福寺。八大将軍徳川吉宗が鷹狩りの際立ち寄ったと言う御膳所の跡が残されている。三代将軍徳川家光もここで休息を取ったという。
氷川神社
さらに西に進んで台地の上に鎮座しているのが江古田氷川神社。寛正元年(1460年)創建と伝わる。
神楽殿
境内にある神楽殿は江戸時代の建造で、弘化4年(1847年)建立という。もとは本殿として使われていたそうだ。
地図その3
ここからは、江古田川が最も北側に迂回している江古田の森公園の周りにある支流を見ていく。なかの便利地図上では、千川通りから導水している2本の分水である東側の濯(すすぎ)川または北新井分と、西側の下新街分または弁天分水(桜台分水とも)があり、さらに西側にも支流が見える。
江古田の森
江古田の森公園は、江古田川が北に大きく迂回しているところに半島上に張り出した台地の縁に作られている。江戸時代には鷹狩りに使われていた場所だったそうだ。大正時代に結核療養所が建てられ、現在も複数の医療施設が置かれている。
ここからの写真は2020/2/29撮影。
排水口
江古田の森北端にある北江古田橋のたもとに口を開けている排水口。ここから濯川を辿っていく。
濯川という名前がついているが実際には千川上水の分水であって、江戸時代からあった用水路を分水口に位置する武蔵高校が出来た後に命名したものだという。
水路敷
排水口の上にはわかりやすい水路敷が残っていた。
狭広狭
道幅が狭くなったり広くなったりを繰り返しながら、目白通りへ北上していく。
鵯
駐車場のロープの上にヒヨドリがとまっていた。
直線
目白通りが見えてきた。
続き
目白通りで少し東寄りにずれるが、水路敷はさらに北へ続いている。
梅
満開の梅の木を眺めながら北新井公園へ向かう。
白梅
青空に白梅がよく映える。
北新井公園
北新井公園でいったん水路敷は途切れているが、もともとは公園の西側を流れていたようだ。
武蔵大学
公園を抜けたところには武蔵大学がある。濯川は武蔵大学江古田キャンパス中央を流れているのだが、千川通りにあった分水口の痕跡はなく、この分水の探索はここまでとしておこう。
by Natrium