東側の水路敷は分譲住宅が密集した場所に出てくる。このあたりは、元々は田畑だったと思われる。
矢印の金網の部分が上流側だが…
金網の向こうにある水路敷に入ることは出来なかった。
ここからしばらく練馬区と豊島区の区境として続いているように地図上は見える。
一方、そこから振り返ってみると、住宅と住宅の隙間にさらに分岐していく細い水路敷があった。
この支流は千川通りの都立千早高校の西側、豊島区立明豊中学校あたりから流れてくる。本流はあとにして、先にこちらを遡ってみよう。
分譲住宅の裏道としてきれいに整備されているのは最初の部分だけで、すぐに古い住宅地の裏道としてクネクネと進んでいくことになる。
しばらく進んでいくと、坂道の途中で駐車場に突き当たっていささか不自然な形で水路敷が終わっている。
もともとはもう少し左に水路敷があったのかもしれない。
水路敷は坂の下にある道の脇から復活していた。
ここも分譲住宅の間を縫って進んでいく。
最後は千川通りに階段を上がってゴール。
千川通りとの間には結構な段差があった。
「ねりまの文化財 第60号」(練馬区教育委員会、2004発行)によれば、ここで千川上水と水路が立体交差していたという。
千川通りに出て、明豊中学校あたりを見る。写真では分かりにくいが、矢印のある水路敷の出口あたりが窪地になっていて、千川通りが下り坂から上り坂に切り替わっていた。
明豊中学校から先の水路は失われて分からなくなっている。
支流から戻る途中。さきほどの分岐の東側で小さな水路敷らしき隙間を見つけた。
すぐ先で行き止まりになっているようで、まったくのデッドスペースになっている。
さて、いったん西側の水路敷に戻ろう。植え込みのあった水路敷の先、緑の車止めから南に向けて進んでいくと、すぐに水路敷は道路に同流している。
幅広い道路の右側、舗装が切れている部分が元は開渠だったのかもしれない。
少し細い道に切り替わったあと、道路は豊島区立さくら小学校の西側で再び緑の車止めに出会う。
さくら小学校は区境から練馬区側にはみ出しているが、元は大成小学校で、板橋高校の南側にあった千川小学校と合併して今の名称になったのだという。
そのさくら小学校の正門前に、細い水路敷らしき道がある(写真は下流側から正門方向を見たところ)。
どうやら、これが東側の水路敷のようだ。この水路敷は、昭和22年の空中写真ではさくら小学校の敷地に向かって伸びていたようだが、現在は校庭になってしまい痕跡はわからない。