昭和34年(1909年)地理調査所発行1:10000「練馬」および「新井」の一部に水路を書き込んでみた。
エンガ掘は要町通りの南側に大きく伸び、千川上水から流れて来ている。
小竹向原駅3番出口付近から要町通りの環七方向を見る。小竹向原駅はエンガ堀の谷にあり、東側は向原トンネル、西側は小竹トンネルになっており、その上にそれぞれ板橋区立向原小学校、練馬区立小竹小学校が置かれている。
ここからの写真は2017/6/10撮影。
要町通りを南側に渡って、東京都民銀行とジョナサンの間にある白いフェンスを見つける。
どうも、ここが北側の隙間に対応する旧流路跡のように見える。
裏側に回って見ると、こちらにはそれらしい隙間はない。
上流側を見てみると、区境の上に大きなマンションが建っていた。古い流路は区境に沿っていたのかもしれないが、早いうちに東側の水路敷に付け替えられたようで昭和22年の空中写真でも確認はできない。
さて、いったん要町通りに戻って東側の水路敷をたどっていこう。
要町通りの北側から来て向原トンネルに突き当たる水路敷は、トンネルを越えた南側で、駐輪場の途中から復活する。写真は下流に向いて要町通り方向を見たところ。
駐輪場から始まる水路敷は、民家の裏を抜けて進む。左側は向原小学校。
写真左側、パイプがまるで水路敷から生えているように見えるが、かつては水路にそのまま落としていた排水管の名残だろう。
水路敷が道路をまたぐ場所には向原ゴルフセンターがある。打ちっ放しの打席が水路敷に沿って建てられている。
少し段差のある打席の裏をやや広めの水路敷が進んでいく。
その先、さきほどのマンション裏手に出たところで、水路敷の西側に中途半端な角地がある。
昭和22年の空中写真では、西側の流路がこの角に沿うようにジグザグに合流してくる場所にあたり、その区割りがそのまま残っているのかもしれない。
東側の水路敷は、角地の先から道路に変わっている。
西側の水路敷は、角地のはす向かいにある駐車場の先に、区境の位置で現れる。ここから先は二つの水路敷が並走するが、西側の探索は別の機会にするとしよう。
西側の水路敷からさらに西側の崖上に、地蔵尊と庚申塔が並んでいる場所がある。上板橋村のあちらこちらにあった江戸時代(寛文〜明和年間)の地蔵尊や庚申塔をまとめたものらしい。
東側に戻って道路を少し進んだところで、公園に突き当たって道路が左右に分かれている。かつての水路も、ここで二つに分かれていたらしい。
右側は、さきほどの西側の水路敷と並行して江古田駅へ向かっていく流れ。こちらの探索はまたの機会。