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和泉川の水路敷群(和泉川支流)
地図その1
OpenStreetMapで和泉川支流の合流部を見る。
和泉川は本流のページにも書いたように正式に付けられた名称はなく、本流の北側に並走している支流についても名前はついていない。
今回は、本流に合流している地蔵橋から支流を遡っていこう。
地蔵橋
地蔵橋西側、国府道に沿って北から支流が合流してくる場所。
ここからの写真は2023/8/12撮影。
電話線
足元には「電話線」と書かれたコンクリートがあった。
千歳橋
西から水路敷が国府道へ出てくるところには、渋谷区中央図書館所蔵の「渋谷の橋」(斎藤政雄編、渋谷区教育委員会発行, 1996)によれば千歳橋という橋が架かっていたという。
くねくね
本流と比べるといかにも水路敷らしい細いくねくねとした道を進む。
新氷川橋
本流の氷川橋と、北側にある幡ヶ谷氷川神社の間を抜ける新氷川橋があったところ。支流にも橋名が残っている場所がいくつかあるのだが、このあたりでは橋の跡は残っていない。
幡ヶ谷氷川神社
和泉川北側にある幡ヶ谷氷川神社。創建や由緒は記録が残っておらず不明だそうだが、永禄年間(1558年〜1570年)の記録には見えるということで相当古いことは確かだろう。
この写真は2023/7/28撮影。
地図その2
OpenStreetMapで本流の氷川橋から中幡橋あたりまでの北側を並走する支流を見る。
路地裏
新氷川橋の先は再び細い路地裏という風情で進んでいく。
ここからの写真は2023/8/12撮影。
カーブと道路
その先で水路敷は大きく北向きに曲がっている。カーブの途中で水路敷は幅の広い道路に合流してさらに北へ曲がっていく。
合流
北に向かう道路はすぐに道幅が狭くなっているので、道路左側の空間が水路敷なのだろう。2つの矢印を描いたが、手前は行き止まりの水路跡、奥が上流へ向かう支流の水路敷になっている。
行き止まり
「渋谷の橋」ではこの道が本流から流れてくる水路として描かれているのだが、道路は写真奥で行き止まりとなっていて本流とは繋がっていない。
私道ではない
上流へ向かう水路敷。写真右に「私道につき工事用車両侵入禁止」と書かれた看板があるのだが、水路敷には大型車が入る余地はなさそうなので、写真右(北)へ向かう道路が私道なのだろう。
路地
またもや細い水路敷が続いているが、徐々に南へ向きを変えていく。
新桜橋
水路敷が南に向きを変え、東西に通る道路と交差するところが新桜橋の跡。左へ進むと本流の本町桜橋がある。
まだまだ
まだまだ緩やかに蛇行する水路敷が続く。
道路へ
南側を並走していた道路が見えてきた。
歩道
道路に合流したところで、写真奥の突き当たりまでは北側(写真右)の歩道として水路敷が使われているようだ。
突き当たり
突き当たりの空き地左側に水路敷が続いている。
とおり抜け禁止
左右に渡る道路は自動車も通行可能なようで、手前に自動車とバイクが描かれた標識が置かれている。
一方、水路敷の方には車止めの代わりに「自動二輪・バイクのとおり抜け禁止」という看板が設置されていた。
排水管
少し高くなっている右側の住宅から、水路敷へ排水管が落ちている。エアコンの室外機からの排水も水路敷へ流れ出ているような…
横向き
その先の丁字路では、車両が侵入できる道路に向かって看板が立てられていた。
裏返し
その次の交差点、というか右側は車両通行可能で左は水路敷のように見えるのだが、とおり抜け禁止の看板は交差点の方を向いている。
写真奥には中幡小学校が見えてきた。
細道
広い道路の方から細い路地を見たところ。水路敷かどうかは定かではない。
中幡小学校
中幡小学校の北側にある正門(北門)前を通り過ぎる。和泉川本流が流れている南門の方が広い道路に面しているため正門と勘違いされるそうだが、こちらが本来の正門だそうだ。写真の後ろ側に道路があり、北側を通る中幡ヶ谷道から入ってきた位置にある。
ジメジメ
中幡小学校の北側に沿って、なんとなくジメッとした感じの水路敷を進んでいく。
中之橋
中幡小学校の西側にある中之橋跡。交差する道路に向かって上流側と下流側の両方にとおり抜け禁止の看板が立てられている。
看板
水路敷上に立てられた看板を避けつつ先へ進んでいこう。
神橋
次の神橋は親柱が残っている。近くに小祠があったことから名付けられたという。
昭和4年
親柱には昭和4年(1929年)3月竣功と彫られている。
中幡ヶ谷道
神橋の先で水路敷は中幡ヶ谷道に出る。
側溝跡
中幡ヶ谷道の南側、路肩が描かれている部分を水路が流れていたと思われる。
三俣橋
本流の庚申橋(中幡庚申塔)の北側にある三叉路には、そのまま三俣橋という名前の橋があったという。支流の方は写真右側から流れてきていたようだ。
笹塚三丁目交差点
笹塚三丁目交差点で中野通りを越える。「渋谷の橋」にはここから先は上流端近くの新堺端まで橋としての記載がない。
直進
二つ先の交差点で中幡ヶ谷道は右へ曲がっているのだが、支流の水路はまっすぐ写真奥から流れてきていたらしい。
昭和11年
国土地理院Webサイトから昭和11年の空中写真(陸軍撮影)
本流は水路として見えるが、支流の方はこの時点ですでに道路になっている様子がわかる。
路肩
次の三叉路の南側で急に路肩が広がる部分がある。いかにもここにかつては水路があったのではと思わせるが定かではない。
笹塚公園
道路北側に笹塚公園が見えてきた。中野通りの西側は笹塚三丁目で、笹塚を関する公園や学校が散見される。京王線の笹塚駅はちょうど公園から真南の位置にある。
隙間
笹塚公園西側にある怪しい空間。水路敷のようにも見えるがそれらしい記録は見つけられていない。
新堺橋
笹塚公園から西側は片側一車線の広い道が続いているが、しばらく進んでいくと突き当たりになって写真右奥に水路敷が見えている。ここが新堺橋の跡で、突き当たりを左に向かうと本流の堺橋に出る。
車止め
水路敷はすぐに車止めの向こうで道路に出てしまう。
水路敷?
和泉川の支流は前の写真左(南西)から流れてきているのだが、右の道の先にも突き当たりに水路敷のような隙間が残っている。ちょうどここが笹塚三丁目と方南一丁目の境になっていて、空中写真では写真奥にも少しだけ東に向かって隙間が続いているのが見える。
上流へ
支流の方は道路に南から出てきている。車止めの位置が中心からずれていてあまり役には立っていない気も…
突き当たり
写真奥の車止めでふたたび道路に突き当たる。その左側には本流の上流端がある。
上流端
支流の上流端は本流の上流端からさらに西へ、水道道路北側の細い路地の先にあった。上流端の西側は杉並清掃事務所方南支所の敷地になっている。
この写真は2023/8/2撮影。
by Natrium