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和泉川の水路敷群(旗洗池とその周辺)
地図
OpenStreetMapで和泉川の支流、旗洗池跡周辺を見る。
現在は新国立劇場の北側にあるテニスクラブのコートになっているあたりにあったとされる出羽様池(出雲松江藩松平出羽守の抱屋敷=私邸があった場所という)から西に向かって流れ出した支流(出羽様の流れと呼ばれていたという)は、途中で甲州街道北側にある旗洗(はたあら)池の湧水を合わせ、北へ向かって氷川橋で和泉川に合流していた。
氷川橋
和泉川にかかる氷川橋から南の支流を見たところ。水道道路から合流点までの間は道路になっていて水路敷らしさは残っていない。
ここからの写真は2023/8/2撮影。
不動通商店街
不動通商店街ののぼりがある商店街を南へ進む。現在の「ふどう通り」は山手通り西側から始まり、幡ヶ谷不動尊(荘厳寺)の門前を通って幡ヶ谷新道公園近くまで伸びているが、その旧道の延長線上にあるこの辺りも不動通商店街に含まれているようだ。
旧不動通り
旧不動通りに入ったところでやや道幅が広くなるが、水路の跡はわからない。
ふどう通り南側
ふどう通りを渡って南側。水道道路に向かって水路跡の道路はやや左(東)へカーブしていく。
川筋
さらに道路が東へ向かってカーブする場所。写真奥にある工事中のビルが立っているあたりが元々の川筋だと思われるが、現在痕跡は残っていない。
本村隧道
カーブして行った先で右に曲がり、水道道路を本村隧道でくぐる。上を通る水道道路は元々は玉川上水の水を代田橋付近から淀橋浄水場(現在は新宿副都心や新宿中央公園)へ送るために作られた水路で、明治31年(1898年)に使用を開始したが昭和12年(1937年)に水路を甲州街道の地下へ移設したことに伴って暗渠化され道路となった。現在は都道431号角筈和泉町線となっている。「水道道路」と呼ばれてはいるが、現在は水路としては使用されていない。(参考:東京都水道局:玉川上水の歴史
本村隧道は新水路の使用開始に先立つ明治26年(1893年)の完成で、水道道路の下に設けられた3箇所の隧道の中で唯一建造時のまま残っているものだそうだ。(参考:郷土博物館・文学館だより vol.44: p.4 / 白根記念渋谷区郷土博物館・文学館, 2020)
隧道西側に少し高くなった歩道があるが、ここを水路が流れていたのかもしれない。
石仏
本村隧道西側の水道道路脇に立つ路傍の石仏。石仏の前の小道は支流の旧流路跡にあたるようだが、私有地なのか水路敷なのか判断が難しく立ち入ることは躊躇われる。
この写真は2024/1/5撮影。
南側
水道道路の南側に抜けて本村隧道を振り返ったところ。北側にもあったが、トンネルの両脇に古代ギリシャのドーリア式風に作られた柱が目を惹く。
東京都水道歴史館デジタルアーカイブシステムに建造当時の写真がある。
ここからの写真は2023/8/2撮影。
水路敷
本村隧道南側から東へ向かう水路敷。南側は高くなっており、細い谷筋であることがわかる。
擁壁
水路敷は擁壁を回り込むように蛇行している。
S字
まっすぐ進んだり、くねくね曲がったり。
旗洗橋
水路跡が細い道路と交差するあたりに旗洗橋があったという。ここに写真右(南)から旗洗池の谷(小笠原窪)が合流しているが、池から流れ出た水路はマンションなどの敷地内にあったようで、合流ポイントもはっきりとはわからない。
小笠原窪
交差点から南へ小笠原窪を見たところ。小笠原窪は明治時代までこの辺りが肥前唐津藩小笠原家の屋敷だったことに由来するといい、その屋敷内に湧水として旗洗池があったらしい。
ここからの写真は2023/8/20撮影。
旗洗池
小笠原窪の谷頭付近にある洗旗荘(高知新聞社員寮)が池を埋め立てた跡地。エントランス付近には旗洗池跡の看板と、その左に東郷平八郎筆の石碑がある。
看板によれば、旗洗池は源義家(八幡太郎)が後三年の役(1083〜1087年)の際にここで白旗を洗って乾かしたことに由来するという。また、ここから幡ヶ谷の地名も起こったと書かれている。渋谷区中央図書館所蔵の「渋谷の湧水池」(斎藤政雄、渋谷区教育委員会発行, 1996)によれば明治初期までその白旗を掛けたという幡掛松の切り株が残っていたのだそうだ。
うねうね
交差点へ戻って支流上流端の出羽様池跡を目指す。車が入れない水路敷らしい道になってきた。
ここからの写真は2023/8/2撮影。
住居表示
もうあまり見かけない古い住居表示が残っている交差点を越えて進む。
上流端
支流の上流端が見えてきた。
階段
上流端は階段でオペラ通りへ上っていって終わっている。
出羽様池
最後に新国立劇場西側のオペラ通りから出羽様池の跡にあるテニスコートを見たところ。
新国立劇場敷地を含むこのエリア一帯が松平出羽守抱屋敷の跡地で、新国立劇場建設に先立って当地にあった東京工業試験所を解体した後の発掘調査では縄文時代から江戸時代まで様々な出土品があったという。(参考:Google Arts & Culrture:新国立劇場にまつわる物語
この写真は2023/8/20撮影。
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