烏山川周辺の水路敷群(上高井戸一丁目の暗渠)
OpenStreetMapで、
上高井戸一丁目あたりの地図を見る。上高井戸一丁目は、杉並区が甲州街道に向かって世田谷区にはみ出しているところで、世田谷区側も含めこの辺りにには複数の水路が錯綜している。
今回は、その中で上高井戸一丁目の領域を通る烏山川の支流を歩いてみよう。(環状8号線から甲州街道までは
別ページで)
国道20号(甲州街道)が環八を渡る上高井戸一丁目交差点から少し西側。旧道が分岐するあたりの北側にある公園の横にひょっこりと水路敷が姿を見せる。
このページの写真は2016/5/28撮影。
左の道は道路を跨いだ後、くねくねと路地裏の水路敷として続いていが、写真奥で民家の玄関にかかる橋があって通り抜けることはできない。物理的に乗り越えて行くことはできるかもしれないが、人様の家の前でもあり遠慮しておくべきだろう。
右の道は直進したあとで東へ直角に曲がり、道路を渡った先には蓋暗渠が残されていた。上流側から短い蓋暗渠区間を眺める。
蓋暗渠の先はまっすぐ進んで民家の裏で行き止まりとなっている。写真左奥には結構大きな空き地があり、かつては水源があったのかもしれない。
左側の水路敷の先を探してみる。西側の道路に出口があった。ここから水路敷を入っていくと、やはりさきほどの民家の玄関橋に行く手を阻まれる。
道路を北に進むと、畑の脇に古い青面金剛庚申塔がある。宝暦4年(1754年)造立のものという。
一方、水路敷はさきほどの出口から2ブロック北側の道を西に向かうと、ほどなく公園の横に再び姿を現わす。
ここもかつては蓋暗渠だったに違いないと思わせる縁石が並ぶ。
道路が左にカーブした先で蓋暗渠の跡は唐突にマンション敷地にぶつかって終わる。このあたりに水源があったのか、もしくはもう少し西に行ったところを流れていた玉川上水の分水から水を引いていたのかもしれない。
最後にその玉川上水の分水(平太夫堀)まで足を伸ばしてみる。北烏山一丁目で分水が左右に分かれていたらしい場所に、2体の青面金剛庚申塔が置かれていた。
右は享保12年(1727年)の銘が読めるが、左は痛みがひどく文字は読み取れなかった。