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烏山川周辺の水路敷群(勝橋~中橋)

OpenStreetMapで世田谷区役所付近から経堂駅南付近を見る。
このあたりでは南北に蛇行している烏山川の周辺に多数の水路があったが、宅地化が進んだことでいまではその痕跡はほとんど見当たらない。
今回は世田谷区役所通りの勝橋から、小田急小田原線経堂駅南にある中橋までの烏山川緑道をさかのぼってみる。
このあたりでは南北に蛇行している烏山川の周辺に多数の水路があったが、宅地化が進んだことでいまではその痕跡はほとんど見当たらない。
今回は世田谷区役所通りの勝橋から、小田急小田原線経堂駅南にある中橋までの烏山川緑道をさかのぼってみる。

まずは勝橋から上流方向を見たところ。国士舘大学の崖下を烏山川緑道が進んでいく。
ここからの写真は2025/6/17撮影。
ここからの写真は2025/6/17撮影。

緑道入口の右(北)側の道路。地籍図ではここが旧道で、もともとの勝橋はこの道が烏山川を渡るところに架かっていたと思われる。
道路左(西)側の不自然に広い路肩は地籍図では長狭物として描かれており、北側流路から烏山川に合流する水路があった可能性がある。
道路左(西)側の不自然に広い路肩は地籍図では長狭物として描かれており、北側流路から烏山川に合流する水路があった可能性がある。

いったん緑道の方を上流へ向かう。

区役所西通りを渡る。この通りは新しいものでここに橋はなかった。

通りの西側で久しぶりに水路を模した水の流れが復活。ここで烏山川は大きく南から曲がってきている。
この蛇行は左岸側に豪徳寺と世田谷城跡のある高台が張り出しているためだ。
この蛇行は左岸側に豪徳寺と世田谷城跡のある高台が張り出しているためだ。

城山小学校の手前に小さな橋があり、そこに右(西)に向かって水路敷の小道が分かれている。ここでいったん勝橋の北まで戻って、分流の水路敷を見ておこう。

勝橋の北、世田谷区役所通りの西側で補助52号線の建設予定地を離れて南へ向かう道路。
北側分流の上流側と思われるが、このあたりでは地籍図では長狭物として描かれている。写真一番奥には、さきほどの勝橋から北に向かっていた道路との交差点がある。
北側分流の上流側と思われるが、このあたりでは地籍図では長狭物として描かれている。写真一番奥には、さきほどの勝橋から北に向かっていた道路との交差点がある。

その交差点まで行ってさらに西側を見たところ。地籍図ではここから道路左側に水路敷が描かれており、さきほどの城山小学校脇から流れてくる分流とつながっている。
また、写真奥の丁字路で左(南)から別の水路敷が合流してくる。
また、写真奥の丁字路で左(南)から別の水路敷が合流してくる。

丁字路左側の水路敷はすぐに西に向かっているが、写真奥で終わっている(道路は左に曲がって行き止まりになるが、そちらは水路敷ではない)。
ここからの写真は2026/1/31撮影。
ここからの写真は2026/1/31撮影。

区役所西通りの国士舘大学バス停を南から見たところ。
地籍図では写真奥に見える反対側のバス停との間を東西に渡る水路敷が道路上だけ取り残されているが、見た目では全くわからない。
地籍図では写真奥に見える反対側のバス停との間を東西に渡る水路敷が道路上だけ取り残されているが、見た目では全くわからない。

丁字路をまっすぐ進んでいくと、区役所西通りの手前で再び補助52号線の予定地と交差する。
ここからの写真は2025/6/17撮影。
ここからの写真は2025/6/17撮影。

予定地の北側に向かって地籍図に水路敷として描かれている遊歩道があった。地籍図では3つ北の道路までまっすぐに伸びているのだが、実際に遊歩道として残っているのは1つ先まででその先は民家敷地に紛れてしまい痕跡は失われている。

北側に回ってみると水路敷が残っていたが、ここからもう一つ北側まであるはずの水路敷は消えていた。
この写真は2026/1/31撮影。
この写真は2026/1/31撮影。

補助52号線の計画を告知する看板。
東京都市計画道路事業補助線街路第52号線は環七若林陸橋西側まで開通している淡島通りを西へ延長して経堂駅西側で小田急線を渡り、環八を越えて仙川を渡る稲荷山橋の西側、成城学園中学高校西北の交差点まで(当初計画ではさらに西進して成城四丁目緑地付近まで)を東西に結ぶ道路の計画で、現時点では環七から世田谷線宮の坂3号踏切までの間が事業認可区間として工事が進められている。
ここからの写真は2025/6/17撮影。
東京都市計画道路事業補助線街路第52号線は環七若林陸橋西側まで開通している淡島通りを西へ延長して経堂駅西側で小田急線を渡り、環八を越えて仙川を渡る稲荷山橋の西側、成城学園中学高校西北の交差点まで(当初計画ではさらに西進して成城四丁目緑地付近まで)を東西に結ぶ道路の計画で、現時点では環七から世田谷線宮の坂3号踏切までの間が事業認可区間として工事が進められている。
ここからの写真は2025/6/17撮影。

区役所西通りの国士舘大学北交差点からやや南へ斜めに進む一方通行の道路。補助52号線は写真左へまっすぐ進むが、東京都道423号渋谷経堂線はこの細い道へ進み、水路敷もこの道路左側を流れていた。

前の写真奥で道路が一段と狭くなるのだが、水路敷の方はそこに左(南)から出てくる。

結構幅が広い水路敷。地籍図には残っていないが、国立国会図書館など所蔵の「三千分一地形図 34号ノ4 代田」(日本地形社, 1947)には写真奥の城山小学校敷地内に水路が描かれている。その先にあったと思われる水路敷には最後に見に行ってみる。

左(東)に曲がって烏山川緑道との分岐点に出る。

ここからは再び烏山川緑道を進んでいく。
分岐点から上流方向。写真奥には品川橋が見える。
分岐点から上流方向。写真奥には品川橋が見える。

橋の手前にある公園から流れ出す水。

品川橋の東詰めには親水公園が造られており、緑道脇の水路はここから始まっている。

品川橋から東、区役所西通りを渡った先にある新義真言宗青龍山勝国寺。奥州吉良氏で世田谷領主5代目の吉良政忠の開基と伝わり、烏山川対岸の豪徳寺と同時期に開かれたとされる。

稲荷下橋。名前に該当する稲荷神社は近辺に見当たらない。

次の城下橋あたりから緑道は西に向きを変えて行く。
なお、OpenStreetMapでは城下橋と次の青葉橋の位置に間違いがある。
なお、OpenStreetMapでは城下橋と次の青葉橋の位置に間違いがある。

信号のある交差点になっている青葉橋。

青葉橋から西に行くとすぐのところに世田谷城阯の丘(舌状台地の先端になっている)がある。
世田谷城は奥州(武蔵)吉良氏の居城で、貞治5年(1366年)に吉良治家が入部したのち、応永年間(1394〜1428年)の築城から天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で廃城となるまで長らくここにあった。
世田谷城は奥州(武蔵)吉良氏の居城で、貞治5年(1366年)に吉良治家が入部したのち、応永年間(1394〜1428年)の築城から天正18年(1590年)の豊臣秀吉による小田原征伐で廃城となるまで長らくここにあった。

城阯公園の南を通る烏山川緑道は両側を道路に挟まれた形になる。奥には城向橋が見えている。

城向橋西側には、左(南)から細谷戸川が合流してくる。そちらは機会を分けるとして、右の烏山川上流へ進もう。
ここから烏山川緑道は北へ向きを変える。
ここから烏山川緑道は北へ向きを変える。

豪徳寺門前につながる豪徳寺橋。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
ここからの写真は2025/6/19撮影。

橋からは城山通りに面した豪徳寺の参道口が見える。なお、豪徳寺については豪徳寺1号~4号踏切で紹介しているのでそちらを参照していただきたい。

次の清涼橋は左の道路が丁字路になっている。

道路と分かれていく烏山川緑道。道路の方は写真左奥に見える上町3号踏切で世田谷線を渡る。

緑道の方はやや北側で世田谷線に突き当たっていったん途切れている。
写真手前にある橋跡は「たま橋」とひらがなで書かれた橋名標があるのだが、「世田谷の用水」(世田谷区立郷土資料館, 2025)によれば玉橋とある。玉電脇の橋だから玉橋なのだろうか。
写真手前にある橋跡は「たま橋」とひらがなで書かれた橋名標があるのだが、「世田谷の用水」(世田谷区立郷土資料館, 2025)によれば玉橋とある。玉電脇の橋だから玉橋なのだろうか。

上町3号踏切に向かう三軒茶屋行き。写真右側の倉庫が烏山川の上に建っている。

世田谷線の線路西側(上流側)の烏山川は自転車駐車場として利用されていた。

ところで、前の写真の自転車駐車場の奥、線路際になぜか横倒しになった「みなみばし」の親柱がある。
南橋という橋は烏山川にはなく、「世田谷の河川と用水」(世田谷区教育委員会, 1977)によれば品川用水にあった(千歳通りの世田谷桜丘二郵便局西側の交差点付近と思われる)という。
この写真は2026/1/31撮影。
南橋という橋は烏山川にはなく、「世田谷の河川と用水」(世田谷区教育委員会, 1977)によれば品川用水にあった(千歳通りの世田谷桜丘二郵便局西側の交差点付近と思われる)という。
この写真は2026/1/31撮影。

振り返って上流側。写真手前の東京都道427号瀬田貫井線が渡っていたのは八幡橋。
ここからの写真は2025/6/19撮影。
ここからの写真は2025/6/19撮影。

八幡橋から北には世田谷八幡宮が見える。
世田谷八幡宮についても豪徳寺1号~4号踏切で紹介しているのでそちらを参照していただきたい。
世田谷八幡宮についても豪徳寺1号~4号踏切で紹介しているのでそちらを参照していただきたい。

北側の道路との間に住宅が割り込んでくるところを通り宮前橋へ。

宮前橋から上流はやや南寄りに蛇行している。

南に寄り切ったあたりにある谷中橋。

谷中橋から南側を見ると、崖上にある桜木中学校の下を桜木トンネルが抜けて行く。トンネルの向こうは細谷戸川の谷だ。

谷中橋から上流側は「万葉の小径」として整備されている。小径西側の鷗友(おうゆう)学園にあった万葉植物園から万葉集ゆかりの草木を移植したことから名付けられたそうだ。

小径のそこここには万葉集の句碑が置かれている。

小径は北へ向きを変えて城山通りが渡る菫(すみれ)橋へ。

万葉の小径を過ぎ、西に向きを変えて鷗友橋。ここからは城山通りの北側を並走する形となる。

鷗友学園角交差点の北にある小川橋。

城山通りの脇に出てくるところにある経橋。

中橋まで来た。烏山川緑道は今回ここまで。

最後に豪徳寺の南北を通っていた水路敷を見ておこう。城山小学校の敷地内で水路は二方向から合流していたが、現在では付近の水路跡は残っていない。地籍図では、少し離れた場所から上流方向に2つの水路敷が描かれているので、それぞれ見て行く。
まずは北側の水路敷。地籍図で水路敷となっているのは世田谷線の宮の坂2号踏切から写真奥に見える豪徳寺東北角の交差点までだが、その手前を城山小学校まで伸びている道路にも右(北)側に歩道があり、水路だった可能性は高そうだ。
ここからの写真は2026/1/31撮影。
まずは北側の水路敷。地籍図で水路敷となっているのは世田谷線の宮の坂2号踏切から写真奥に見える豪徳寺東北角の交差点までだが、その手前を城山小学校まで伸びている道路にも右(北)側に歩道があり、水路だった可能性は高そうだ。
ここからの写真は2026/1/31撮影。

豪徳寺裏の林を左に見る交差点。ここから道路北側(右)に地籍図上の水路敷があり、歩道として利用されている。

豪徳寺裏門の前から西にまっすぐ伸びる道を見る。

世田谷線の宮の坂2号踏切。地籍図では水路敷はここまでだが、線路の西側にも歩道がある。

踏切の北側に水路というにはやや頼りない側溝があった。写真奥の遮断機のしたに空間があり、暗くて写真ではわからないが土管の出口が見える。

踏切を渡って世田谷小学校の裏を通る。道路両脇に歩道があるが、右(北)側の歩道が水路跡と思われる。
写真奥で道路は左に曲がってしまうが、その左に水路跡と思われる隙間がある、
写真奥で道路は左に曲がってしまうが、その左に水路跡と思われる隙間がある、

民家とマンション入口の間を西へ伸びる隙間。地籍図では西側の道路まで長狭物として描かれている。それ以上西側には水路と思われる痕跡は見当たらない。

続いて南側の水路敷は城山小学校の南側から上流方向に向かう細道として現れる。

すぐに西に向かうフェンス越しの水路敷がある。こちらの水路敷は城山小学校南側から世田谷城阯を通って宮の坂1号踏切の手前まで伸びており、途中世田谷城阯では土塁の間を通る堀となっていて人工的な流れなのだろう。

西側の道路に出てくる水路敷(写真中央左のフェンス)から南へ。

地籍図では道路右側に水路敷があるが、見た目ではわからない。

前の写真奥に見える丁字路で右へ。ここからは地籍図では長狭物になっているが、道路左(南側)に水路があったと思われる。

西へ進んで交差点を越えたところから地籍図上の水路敷が復活するが、すぐに住居の間を南に向かって行く。図面上はともかく、ここから先城阯までは私有地の間にあり通ることはできない。

ぐるっと西側に回って行き止まりの路地から土塁の西側にある堀の跡を下流方向に見たところ。

振り返って上流方向。世田谷城阯公園に向かって堀が続いている。

堀は世田谷城阯公園内の西側に出てくる。写真左奥から手前が地籍図上の水路敷になっているが、右側にももう一つ堀がある。
いずれも世田谷区の説明などでは空堀と説明しているが、右側の堀は地籍図では水路敷としては扱われていない。
いずれも世田谷区の説明などでは空堀と説明しているが、右側の堀は地籍図では水路敷としては扱われていない。

東側の土塁から堀の南側を見る。水は流れていないが橋が水路を渡っている。
地籍図では写真奥の道路を右へ向かうが、道路を渡る水路もあったようで道路向かい側まで水路敷が残っている。ひとつ烏山川緑道寄りの道路にも水路敷が残っており、ここに烏山川から水を引いていたように見える。
地籍図では写真奥の道路を右へ向かうが、道路を渡る水路もあったようで道路向かい側まで水路敷が残っている。ひとつ烏山川緑道寄りの道路にも水路敷が残っており、ここに烏山川から水を引いていたように見える。

城阯公園から宮の坂駅へ向かう城山通り右側の歩道が水路敷。

豪徳寺正面の参道前を通り抜ける。

世田谷線の宮の坂1号踏切が見えてきた。踏切手前までが地籍図で水路敷となっている。

踏切を渡った西側にある世田谷八幡宮の境内摂社厳島神社の池。地籍図上の水路敷は繋がっていないが、位置関係から見るとここが水源ではないのかという気もする。