昭和34年(1959年)地理調査所発行の1:10000「成増」より、越戸川上流部。
現在、上流部分の一部は東京メトロ和光車両基地の中に、最上流部は陸上自衛隊朝霞駐屯地の中に取り込まれてしまっているが、湧き水として知られている強清水(こわしみず)から上流端まで辿ってみよう。
まずは和光市側からだと北口通り、朝霞市側からだと中央通りの境目にある越戸橋から強清水に向かって越戸川南側の崖上の道を進んでみるが、途中振り返ったところがこの写真。どこの山岳地帯なんでしょうかねここは。
越戸橋寄りには自動車が行き違いを行うための待避所も用意されており、両側から来る自動車も慣れたものでソロソロと進んでいた。
このページの写真はいずれも2014/11/2撮影。
いったん下流の河川敷が広がった部分まで行って、南側の崖を見る。
越戸川は今でこそ細い流れだが、かつてはこのような崖を削り出す急流だったのだろう。朝霞県土整備事務所によれば、急傾斜地崩壊危険箇所とされている場所もあるようだ。
北側斜面も負けてはいない。強清水の下流側にある橋(越戸川四号橋?)へ向かう道から北側を見たところ。
いきなり空に駆け上がるような急坂の先には、写真では見づらいがさらに階段が崖上に向かって取り付いている。
上の写真中央に見える橋から上流側を見る。
写真の中央、くねくねと曲がる川の中に見える白い部分が強清水のある場所だ。
ここが強清水。
民家の軒先から、いきなり大量の湧水が越戸川に流れ込んでいる。
上流側の橋(越戸川三号橋?)から強清水の全容。
強清水は、
和光市商工会青年部が作成している「わこう郷土かるた(わこうっちかるた)」にも「越戸川 親孝行の 強清水」と謳われているように、「強清水」伝説の地として知られている、という割には周囲にそれと知らせる看板があるでもなく、訪れる人もいなさそうなのがちょっと寂しいところだが。
ハシゴを使って川べりに降りられるような構造になっているが、肝心の降り口にはアプローチ出来ない。
ハシゴにアプローチするはずの場所は、朝霞県土整備事務所によって立ち入り禁止とされている。
強清水伝説とは、和光市の広報誌「広報わこう」2009年6月号の「エンジョイ和光ライフ」によれば、その昔親孝行の息子がこの湧き水を父親に飲ませたところ美味しい酒となり、自分が飲むとただの水だったことから「子は清水」と呼んだという、ってダジャレか(笑)
さて、強清水から越戸川を上流に向かってすすむ。少し行くと、川の南側ギリギリまで崖が迫ってくる。
和光市と朝霞市の市境にもなっている越戸橋。ここからはしばらく
広沢の池支流のときと同じ場所を進むことになる。その先には、
東上68号〜91号踏切で紹介したアンダーパスへと続く。
東武東上線のアンダーパスを越えて南へ。左に東京メトロの和光車両基地を眺めながら、越戸川左岸の河川敷を進んでいく。
河川敷から東武東上線方向。川の左右から結構な水量の暗渠が合流しているのがわかる。越戸川は全域でこのような合流する水路があって、この日は雨上がりだったこともあり川の水量も多かった。
カクカクと進んで行く越戸川。右岸には苔がびっしりと生えている部分があり、湧き水の染み出しがあるようにも見える。
右岸側は
Google Mapなどでは貯水池として載っている場所だが、空中写真では水を湛えているようには見えず、遊水池となっているのだろうか。
Google Mapなどでは写真左の森の中に池があるように描かれているが、みたところ水が溜まっている様子はなかった。
さらに進んでいくと、越戸川は暗渠になってしまう。
かつての流路は上の写真の先に直進していたようだが、現在は盛り土により塞がれてしまっており、これまで歩いてきた河川敷の先に蓋暗渠として移動してきている。