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越戸川・谷中川とその支流(御滝川)
地図
OpenStreetMapで御滝川流域を見る。 御滝川は和光市が発行している「和光市認定道路線網図」にその名が見える川で、本流は新倉二丁目から水道道路をまたいでいったん北へ向かったのち、現在の新倉高校が建っている場所にあった溜池からの流れを合わせて新河岸川とは逆に西へ向かい、新倉氷川八幡神社の近くで越戸川に合流している河川。
矢島川から東側の新河岸川支流と異なり、関東地方整備局が管理する一級河川として資料に名前が挙げられている。国土交通省河川局の河川コードも持っているのだが、流域の大半は暗渠化されるか区画整理で失われてしまっており、川としてはあまり知られていないのかもしれない。
合流点
御滝川が越戸川に合流するポイントは赤堀橋の少し上流にある。現在は住宅地の道路になっているが、遊歩道になっている河川敷には大きなピットがあり、ここが水路敷だったことを思わせる。
ここからの写真は2018/8/26撮影。
新倉氷川神社北
道路は新倉氷川神社北交差点まで来たところで水路の跡を失っている。正面やや左の駐車場と空き地の境から、正面の建物と、奥に見える東京北部郵便局(ここは埼玉県和光市だが)の間を御滝川が流れていたはずだが、正面の建物裏に高低差が残っているだけだ。
想定流路
駐車場西側から外環自動車道方向を見る。ロールアップで推定流路を表示したが、払い下げられてしまったのか水路敷は残っていない。
御滝川は正面に見えるトラックセンターの敷地を抜け、外環道の向こう側から流れて来ていた。
新倉氷川八幡神社
交差点側に戻って赤堀橋の方から新倉氷川八幡神社の崖線を見る。右から越戸川、左から御滝川(というか古くは荒川)が削り出した半島状の地形がせり出している場所に神社が建っていて、見上げるとまるで巨大な古墳のようだ。
松ノ木島町
外環道の東側に回って、東側から松ノ木島交差点方向を見る。御滝川は、正面左側のガソリンスタンド付近から、外環和光北入り口のあたりへ向かって流れていたらしい。
ところで松ノ木島町というのは、現在新倉七丁目の一部になっているが、平成16年(2004年)の住居表示変更までは、写真奥の倉庫があるあたり一帯の町名で、周りを大字新倉に囲まれた正に島のような地名だった。
ここからの写真は2018/5/5撮影。
合流
松の木島交差点から東へ水道道路を進んでいくと、御滝川の本流と支流が合流している場所に出る。支流側は結構な水量をたたえた開渠が残っているが、本流は水道道路から北へ分かれる道路になっている。半三(はんざ)池へは別の機会にするとして、本流を遡っていこう。
くねくね
道路はいかにも水路っぽくクネクネと進んでいく。
本流
その先で本流は南へ。
行き止まり
一方、溜池からの流れはすぐ先の大野前通りの向こう側では区画整理によって失われており、行き止まりで終わっていた。
南へ
水道道路を再び越え、御滝川は南へ上っていく。
東へ
水道道路側からは入っていけないが、すぐ先では道路になっており突き当たったところで左(東)へ。
幅広
すぐに道路に突き当たり、今度はやたらと幅の広い歩道として南へ。
用水路跡
途中で西へ向かって用水路の跡と思しき側溝(蓋付き)が別れていく。写真はふたつ西側の道路まで行って上流方向を見たところ。
蓋暗渠と橋
前の写真の用水路は、南側からも流れて来ていたようだがすぐ先で痕跡がなくなっている。さらに西側へいくと、蓋暗渠に架けられた住宅用の橋が残っている場所があった。
現役
振り返って北側には、現役と思われる用水路が残っていた。
練田
さて、戻って道路を南へ進んでいく。しばらく進んで練田バス停の後ろにちょっとおしゃれな交番が見えて来たところ。実はここ…(続く)
蓋暗渠
大野前通りから南へ向かって来た道路にある練田バス停。実はここ、この角度で見ると交番の前にあるバス停と、バス待合所になっている屋根の下が蓋暗渠になっているのがわかる。この位置で水路敷は道路の東側に移動していたのだった。
東へ
交番を過ぎたところで、水路敷は東へ向かうが、蓋暗渠はいったん道路の舗装に飲み込まれてしまう。
グレーチング
道路の水路敷部分に大きなグレーチング(溝蓋)が残っている。
南へ
次の路地をグレーチングに沿って南へ向かう。
側溝跡
道路西側に側溝の跡が残っているように見える(ロールアップで表示)。正面は、吹上交差点から西へ向かって来た昭和通り。
昭和通り
昭和通りの南側の歩道が、交差点のところから蓋暗渠になっている。そのまま西へ向かう。
坂下ショッピングセンター
正面に見える坂下ショッピングセンターに向かって蓋暗渠が伸びているように見えるが…
迂回
交差点の手前で水路敷だけが高圧線の鉄塔を迂回するように南へ回り込んでいく。
フェンス
南側の道路を渡った先では、フェンスに阻まれて通り抜けることができない。
マンション前
昭和通りから交差点を南に曲がった道は大正通りと呼ばれている。その大正通りから下流側を見たところ。マンション前の空間が水路敷部分だけ微妙に後付けでインターロッキング舗装されているのがわかる。
大正通り
大正通りは新倉小学校前バス停へ向かって坂を上っていくが、水路敷は大正通りを逸れて西側へ向かう。
細道
マンションの先で水路敷は道路と別れる。
下井戸稲荷神社
反対側に出たところで、小高い地形の上に立つ下井戸稲荷神社を見つける。別名を「とうかざか稲荷」とも呼ばれ、脇には「とう火坂通り」もある。ここが谷頭かとも思ったのだが…
続き
よく見てみれば水路敷からそのまま西へ向かってグレーチングのある水路跡が続いていた。行き止まりの標識があるが進んでみよう。
坂と水路敷
道路はすぐに左折したあと、右折して階段になってしまうので確かに行き止まりではあった。一方、よく見ると坂の右側、崖下に蓋暗渠がまっすぐ続いているのがわかる。道路がないので、左の坂を上って上から見てみるとする。
谷頭
上から見ると、ここが谷頭になっているのがよくわかる。水路は写真右から木が生えている線に沿って進み、画面奥の方へジグザグに進んで行っており、画面中央奥あたりが上流端となっているようだ(ロールアップで表示)。
溜池弁天跡
最後に追加、大野前通りの向こうで行き止まりとなっていた先の溜池は昭和25年(1950年)ごろに湧水が枯れたことで荒地化してしまい、現在その場所には和光高校が建っている。
その和光高校の西側に元は溜池の北側にあった弁財天が移されて祀られていたのだが、「調査報告:和光高校前の弁財天について」(相田由莉、和光市デジタルミュージアム紀要 第8号, 2022)によれば令和3年(2021年)ごろに廃祠されてしまったといい、かつてあった鳥居や祠は残っておらず台座だけが残されている。
この写真は2024/3/18撮影。
by Natrium