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越戸川とその支流(赤池橋〜日の出橋)
地図
OpenStreetMapで越戸川下流部を見る。
今回は越戸川右岸側を並走する水路跡を見ていこう。
越戸川は川越街道南側の陸上自衛隊朝霞駐屯地北端から東京メトロ和光検車区の南側にあった七ッ釜を水源とし、主に和光市と朝霞市の市境を成して流れる川で、北へ流れて新河岸川に合流している。
赤池橋
和光市と朝霞市の境にある赤池橋の左岸側から対岸を見たところ。
地籍マップ(β版)を見ると写真右の住宅前に道路から川に出てくる水路敷が描かれており、ここから越戸川右岸の支流が別れていたのではないかと思われる。
このページの写真はすべて2025/5/15撮影。
歩道
赤池橋から和光市側に向かう道路右側にある歩道あたりが水路敷であろう。この水路敷は越戸川よりもやや高い位置に流れており、越戸川との間にあった農地に水を供給するための揚げ堀だったのかもしれない。
私有地
赤池橋のすぐ上流側にある水路敷の入口には「私有地 通り抜け禁止」の表示がある。地籍図では入口付近だけが水路敷となっており、写真中央奥の車止めから北側の道路までつながる細道は私道として扱われているようだ。
道路側
道路側から水路敷を見ると、車止めに挟まれた蓋暗渠になっていた。
御滝川
次の上流側水路敷は新倉二丁目から流れてくる御滝川の末端部とされている。
保育園
道路側から御滝川末端部を見る。
新倉氷川神社(北)
そこから歩道の水路敷を上流向きに見たところ。写真奥の新倉氷川神社(北)交差点で支流の水路は右手前に曲がるが、右奥の坂道を上って行くと写真正面に見える崖の上に新倉氷川神社(新倉氷川八幡神社)がある。
赤池通りと宮坂
交差点を右に見たところ。地図の縮尺によってはわかりにくい場所だが、右側水路敷の赤池通り、左が新倉氷川八幡神社に向かう宮坂で、短い距離でかなり高低差が生まれているのがわかる。宮坂は写真左に見える崖を周回するようにカーブしながら上って行く。
俯瞰
宮坂を上って行く途中で赤池通りから越戸川に向かう水路敷が見える。
新倉氷川八幡神社
宮坂を上って新倉氷川八幡神社の入口方向に振り返ったところ。
新倉氷川八幡神社は旧上新倉村の氏神とされ、鎌倉時代の創建と伝わっている。「氷川八幡神社」と称する神社は国内でもここのほか矢島川上流端付近にある下新倉氷川八幡神社と、鴻巣市箕田(みだ)にしかないそうだ。
なお、宮坂の方はかなり新しく、昭和18年(1943年)に新倉村が白子村と合併して大和町となった際に境内地を提供して造られたものだという。
宮坂下の水路敷
宮坂から見えた水路敷を越戸川から見たところ。出口部分だけ住宅の入口として利用されているようだ。
排水口
越戸川の対岸に渡って見てみると、水路敷の下に排水口があって水が出てきているのが見える。
赤池児童遊園地
水路敷の南側にあった赤池児童遊園地(ひとつ南側の道路から見たところ)。昭和52年(1977年)開設だったが、2025/5/31で廃止されるというお知らせが掲示されていた。
ワコレンジャー
児童遊園地に掲示されていた「環境戦隊ワコレンジャー」。休眠中と書かれており、現在は福祉戦隊ワコレンジャーが活動しているらしいが関係は不明だ。
新倉ふれあいの森
赤池通りの崖下にある新倉ふれあいの森。湧水もあるらしいが場所がよくわからなかった。
赤池バス停
市内循環バス「わこば」の赤池バス停から越戸川方向に伸びる水路敷。
雑草
越戸川から見たところ。川に近い方は雑草が生えているが通れるようにはなっているようだ。
防草シート
谷津橋手前の越戸川に向かう暴走シートが貼られた水路敷。
坂
水路敷の反対側は地図上では崖上に向かう道路があるのだが、実際にはこの通りの勾配で自動車は通り抜けることはできないようだ。道路脇には階段が作られている。
マンション脇
マンションの脇にも水路敷が残っている。
農地脇
農地を挟んで南側の住宅との境にも水路敷が残っている。
外環
赤池通りは東京外郭環状道路(外環)の下で右に曲がって谷中川にかかる地蔵橋方向へ上って行くのだが、元の水路はまっすぐ南から流れてきていたらしい。
外環側道の向こうには谷中川右岸に沿って流れる水路敷が残っている。
排水口(小)
地蔵橋の下流側、谷中川左岸に小さな排水口がある。
排水口(大)
一方上流側には大きな排水口があり、こちらからはかなりの量の水が出てきている。
地籍図を確認すると、南側から地蔵橋に向かう道路両側に水路敷があり、その上流は越戸川右岸の水路敷とつながっているようだ。
上谷津ふれあいの森
地蔵橋から外環道側道を離れて西に曲がったところ。写真左側は旧上新倉村字向原の高台になっており、崖下には上谷津ふれあいの森がある。越戸川右岸の谷筋はここから上流が上谷津(かみやつ)、下流が下谷津(しもやつ)という字名だった。
地籍図ではカーブして行く道路に水路敷が描かれているが、さきほどの谷中川左岸の水路は写真中央付近にあるグレーチングとコンクリート暗渠の先(右)にあり、右岸の水路は写真手前方向にある。
国土地理院Webサイトの昭和22年空中写真(米軍撮影)を見ると、写真右側の道が旧地蔵橋につながっており、元の水路敷はそこに出ていたようだ。
さがしら坂
カーブを曲がって行くと、赤池で見た景色とよく似た分かれ道に来た。左の坂道は「さがしら坂」と呼ばれている台地の上に向かう坂道で、正面に向かう道路に越戸川右岸の水路敷が通っている。また、写真右側の道には越戸川に落ちて行く水路があったようだ。
上谷津橋
越戸川に出て上谷津橋からさきほどの交差点方向を見たところ。橋のたもとに土管が出てきているのが見える。
歩道の張り出し
並走していたさがしら坂が分かれて行くところに、坂道から崖の方に歩道がはみ出している場所がある。さがしら坂の道幅が狭いため歩道だけ外付けになっているらしい。
上谷津公園
水路敷の方を進んでいくと、右側の越戸川との間に上谷津公園がある。水路敷の道路はここから先では崖上が宅地化された擁壁の下を通って行く。
蛇行
擁壁の下を蛇行しながら上流へ向かう。
上流端
蛇行する水路の跡は越戸川の日の出橋を渡る道路に突き当たって終わっている。
ここから上流方向は地籍図を見ても痕跡がないが、昭和22年の空中写真を見るとさらに上流の山彦橋付近で分かれていたようだ。
山彦橋
山彦橋から越戸川右岸下流方向を見たところ。写真左の川に沿って建つマンションは低い位置にあり、後ろのマンションは高い位置にある。
このあたりは宅地開発で整地されているため元の地形はよくわからないが、昭和22年空中写真ではちょうど山彦橋の下あたりで分岐していたようだ。
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