前谷津川周辺の谷戸と水路敷(出井川その2)
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出井川上流部を見る。
出井川は泉町の首都高速下あたりと、出井の泉公園の2ヶ所から出発して現在首都高速5号線となっている道路を下っていくが、途中で前野町方向から来るいくつかの支流を合わせていく。一方、北側の志村側にもいくつかの谷筋があるが、こちら側は水路敷としては残されていない部分が多い。
首都高速の下をくぐる歩道橋から高速の南側を見る。出井川はいったん高速の南側にはみ出す形で東へ向かってカーブしていく。
途中で南側から支流が合流してくる。この支流は前野川とも呼ばれるようだが、探索は機会を分けたいと思う。今回はまっすぐ出井川上流を目指す。
遊歩道は徐々に左カーブしながら首都高速へ戻っていく。
再び首都高速へ。この先出井川の水路敷は最上流部まで首都高速に蓋をされた形になっている。
さて、首都高速に戻る前、南に向かって伸びている谷があるので、先にそちらをみてみよう。
ここからの写真は2020/2/15撮影。
実際の他には、前野公園に向かう道(写真手前)と、前野本通り(写真奥)の間にある。
出井川南側の前野町の谷はどれも結構な深さがあり、東側には崖上に建つマンションが目立つ。
道路はすぐに坂道となり、谷頭に広がる大乗淑徳学園のキャンパスに向かって登っていく。
高速下に戻ってきた。出井川は高速の下に遊歩道として残されている。
ここからしばらくは出井川の北側を見て行こう。まずは少し下流に戻って志村三丁目駅南側の崖沿いにある志村城山公園へ。
出井川の流路を西に押し出すように出っ張っている志村城の築城がいつのころかは分かっていないが、隣接する城山熊野神社(志村熊野神社)は長久3年(1043年)に志村氏により紀州熊野神社から勘定されたことに始まると伝わる古い神社だ。
付近には縄文時代から平安時代までの遺跡が発掘されており、相当古い時期から人が住んでいた場所なのだ。
ここからの写真は2020/1/11撮影。
城山公園の脇を御成塚通りが駆け登っていく脇にあるものすごい斜度の階段。
降りた先は路地になっていて、中央の階段はその延長線上にあるが、左右の階段は民家と事務所の入り口になっている。
城山の南側を登っていく城山通り。通りの右(南)側が谷になっている。
ここからの写真は2020/2/15撮影。
城山通りから谷底方向を見たところ。階段はまだしも左側の坂道を降りていくのはかなり危ないのでは。
城山通りの南側に谷頭があるのがわかる交差点があった。
東に進んで見次公園の谷を見る。大きな池を含む見次公園全体が窪地となっている。
ここからの写真は2020/2/11撮影。
見次公園奥の崖下には、現在でも湧水が出ているようだ。
首都高速の下には、水路を模した遊歩道が作られている。
今度は出井川の南側。志村第三公園からの流れが出井川に合流するあたりから南を見たところ。なんということのない道路だが、古地図ではここに川筋が描かれている。
ここからの写真は2022/7/30撮影。
真言宗豊山派の寺院である常楽院の塀沿いに進んでいく。このあたりでは関東大震災後の昭和初期に区画整理が行われた際に複数の遺跡や土器が出土している地域で、常楽院には弥生時代末期の「前野町式土器」と名付けられた土器が収蔵されているということから、土器寺という異名があるそうだ。
常楽寺を離れ、南へ向かって坂を上る。矢印のところに水路敷が残っているのが見えてきた。
オフィスビルと分譲住宅地の間に取り残された水路敷があった。入っていくのは難しそうだ。
南側に回り込んでみたところ。マンション脇の道路はかなりの斜度で谷底へ下っており、写真左のバイクがあるあたりが水路敷の上流端となっている。古地図の川跡もこの辺りから始まっており、古くは湧水があったのだろう。
さらに南側を上流へ。ビバホーム板橋前野店の西側、前野熊野神社との間を通る道を中心に水路敷が残されている谷がある。
ここからの写真は2020/2/11撮影。
熊野神社の崖下には、不動明王像が安置されている。御供物が多く人気があるようだ。
水路敷らしさが現れるのは次の交差点。坂道(前野本通り)の途中に交差する形になっているのだが、水路敷部分だけが階段になっている。
交差点の先は嵩上げされているようだが、右側に不必要に幅の広い歩道があり、水路敷であることが想像される。
少し進んだところで歩道はいきなり幅を狭くする。もともとの水路敷はこの幅だったのだろうか。車道と比べ、歩道側が一段低くなっているのも気になるところだ。
交差点を越えると歩道と車道の高低差はなくなり、その先でガードレールも終わっている。
道路は突き当たりなり、一見水路敷も終わっているように見えたが、少し左に行ったところに続きがあった。
行き止まりかと思ったが、クランク状に水路敷が折れて続いている。
階段の上が蓋暗渠のようになっているのだが、さてどうなのだろう。
さらに左へ曲がったところで、水路の上流端と思われる車止めがあった。
いきなり路肩の幅が変わる場所にある車止め。これ以上上流には遡れないようだが、地形的には道路反対側(西)の方向が谷頭だったようにも思える。
いずれにせよ、この支流はここまでということになる。
続いて最上流部南側にある出井川の水源の一つ、出井の泉公園へ向かって行こう。首都高速の側道には、公園への入り口を示す標識があるが、観光地というわけでもないのでひっそりとした住宅街の路地を行くことになる。
ここからの写真は2020/2/15撮影。
このあたりは地名も泉町という。くねくねとした水路跡の道路を進んでいく。
右側(西側)にはかなり切り立った崖があったようで、住宅の擁壁になっている。
かなり高低差のある谷頭に作られた出井の泉公園。ここにはその名の通り出井の泉と呼ばれる湧水があった。
出井の泉は戦後になって枯れてしまい埋め立てられていたのだが、平成12年(2000年)に児童遊園の改修工事に先立つボーリング調査で地下の湧水が確認され、再び湧水が観察できるように整備された。
左の井戸のようなものの中を覗き込むと確かに水が沸いているのだが、ピンホールのような観察穴しかないので写真を撮影するのは無理だった。
高速道路側道まで戻ってきて東にある中山道方向を見る。出井川本流の水源は写真奥のあたりにもあったとされるが、高速道路工事で埋もれてしまったらしく、どこにあったのかはわからない。