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桃園川の水路敷群(三味線橋〜高円寺橋)その1
地図
OpenStreetMapで桃園川緑道の三味線橋から高円寺橋までを見る。
ここでも桃園川はほとんどすべての橋が残されているので、橋名を書き込んでみた。
三味線橋
中野駅の東側を通る「もみじ山通り」を渡る三味線(さみせん)橋。
ここからの写真は2020/8/2撮影。
上流へ
三味線橋から桃園川緑道を、桃園川ではお馴染みのデザインの車止めを越えて上流へ向かう。
上町橋
緑道が若干きた向きにカーブした先にある上町(かみちょう)橋。上町はこのあたりの旧町名に由来する。
上町橋の南側は少し谷が広がった格好になっていて、かつては桃園川が南へ蛇行していたことを想像させる。
竹取物語
緑道に描かれた竹取物語のタイル。
箱堰橋
道路を斜めに渡っている箱堰橋。桃園川は写真奥で下流に向かって大きく南へ蛇行しており、北に向かう流れもかつてはあったのだという。
御伊勢橋
欄干の左右に工事用柵が設置されている御伊勢橋。
天祖神社
御伊勢橋から南の青梅街道に向かっていくと、途中に天祖神社がある。地元では「お伊勢の宮」と呼ばれているといい、橋の名前の由来になっているようだ。
この写真は2020/11/7撮影。
上宮橋
御伊勢橋とよく似た形をしている上宮(かみみや)橋。
ここからの写真は2020/8/2撮影。
北畠橋
中野総合病院東側にある北畠(きたはた)橋。
火偏に畠
この橋、親柱の扁額に描いてある「はた」は火偏に畠という見たことのない字だった。煌(きらめき)の王の部分が田になっている。
そもそも「はたけ」というのは中国にはない言葉(田んぼとくべつしない)で、漢字である「畑」も「畠」も日本にしかない国字とされる(ただし、畠については中国の文献に出てくるという説もある)。火偏に畠という字はUnicodeにもなさそうだし、日本でここ以外に使っている場所があれば見てみたいレベルの異字体ということにしておいていいだろうか。
くねくね
桃園川緑道は基本的に直線的に造形されているのだが、中野総合病院の前では植え込みがくねくねと蛇行するように作られている。ちなみに病院の入り口は橋ではなく、暗渠になってから出来たものらしい。
橋場橋
大きく南へカーブしたところにある橋場橋。橋場も旧町名。
スロープ
中野通りへ向かう。
桃園橋
スロープを上がったところにあるのが、中野通りの桃園橋。川の名前にもなっている桃園はこのあたりの旧町名で、八大将軍徳川吉宗が鷹狩りのおりにこのあたりに桃を植えさせよと言ったのだとか。その場所は元は五代将軍徳川綱吉の生類憐みの令で設けられた野犬の保護施設である「お囲い御用屋敷」があった場所だという。
橋桁
桃園橋は親柱の扁額に昭和11年(1936年)完成とあり、現在も鋼鉄製の桁がそのまま残されている。しかし、中野通りは拡幅計画があるそうで、この景色は失われてしまうかもしれない。
※2021/6/20追記。中野通りの拡張工事に伴い、桃園橋は2021/4から解体が始まったそうだ。橋桁ごと撤去され、下水道の桃園川幹線のためにボックスカルバートを埋設して完全に暗渠化するらしい。親柱や欄干はいったん都有地で保管されるが、保存されるかどうかは未決定という。
鋼鉄桁
上流側のスロープ脇から鋼鉄桁を見たところ。
へたうま
桃園橋からさらに上流へ向かう。緑道には、小学生が描いたにしては上手な絵のタイルが。
公園橋
親柱がなくなっていて、扁額が欄干に取り付けられている公園橋。橋の東側にある橋場公園が名前の由来だろうか。
旧流路
公園橋の南で桃園川は西向きにカーブしていくが、もともとはこのあたりではかなり大きく南に蛇行していて、写真奥の方から流れてきていた。
庚申橋
旧流路を遡っていくと、桃花小学校の脇を抜けたところに道路の片側だけに取り残された古い橋の欄干が残されていた。扁額には「かう志んはし」とあり、旧桃園川に架かっていた庚申橋の遺構だ。
大正13年(1924年)1月完成で、関東大震災(大正12年9月)のあと半年もたたずに作られたことがわかる。
千年欅
欄干の向かい、桃花小学校にある「千年けやき」。実際には樹齢はおよそ600年だそうだが相当な古木であることは間違いない。戦後に伐採するという話があり、地元住民が中心となって買い取って保存したという話が残されているそうだ。かつてはこの木の下を桃園川が流れていたのだろう。
水路敷
庚申橋北側に残されている水路敷らしき隙間。桃園川の旧流路と呼ぶには幅が狭いような気もするが、位置としてはこのあたりを流れていたのだと思われる。
鉄板
旧流路は区画整理されてしまっているためよくわからなくなっている。崖下で見つけた鉄板で塞がれた水路敷らしき空間。
※鉄板部分にあった落書きを目立たないように加工しています。
石垣
南側にある中央西公園との間には石垣の崖がある。
側溝
崖下(下流方向)から出てくる側溝。これも水路敷だろうか。
隙間
駐車場と崖(上流方向)の間に微妙に隙間がある。
蓋暗渠
路地を横切っているのは蓋暗渠ではなかろうか。ここから上流側は完全にわからなくなってしまう。
昭和浴場
蓋暗渠があった路地の西側にある昭和浴場。なぜかGoogle Mapには「マジック温泉」と紹介されているのだが、温泉の経営者がプロのマジシャンで、この浴場でもマジックを披露しているだそうだ。
マジック温泉
浴場の煙突に「マジック温泉」と書いてあった。
水路
そのマジック温泉の東側に、鉄板で覆われた水路を発見。
蓋
南側には蓋暗渠が住宅の間に向かっている。ここから先を辿ってくことは難しい。
西町天神
谷頭となる青梅街道沿いには北野神社西町天神という神社があった。西町はこのあたりの旧町名。かつてはここに弁天池があり、桃園川支流の水源になっていたようだ。神社の西側は杉並区との境になっている。
宮園橋
西に向きを変えた桃園川は宮園橋で大久保通りと交差して北側に入れ替わる。橋の名前は、大久保通りを古くは宮園通りと行っていたことによるものらしい。昭和7年(1932年)完成の古い橋だ。
鳥見橋
このあたりは旧流路と関係なく真っ直ぐに改修されている。オリジナルの欄干とはちょっと思えないデザインの鳥見橋。どうやら鷹狩りに関係のある名前らしい。お鳥見役というのは鷹狩りの時にうまく獲物が取れる場所を探しておいたり、あらかじめ獲物を準備しておく役割だったそうだが、鳥を調べると称して諜報活動も行っていたとも言われる。
竹橋
鳥見橋と同じデザインの竹橋。
西田橋
中野区と杉並区の区境にある西田橋。手前の中野区側が鳥見橋、竹橋と同じデザインなのに対して、西側はまったく違うデザインになっており、同じ桃園川緑道といっても別々に整備されたことがよくわかる。
旧流路
西田橋の杉並区側には、かつて北へ蛇行していた桃園川の旧流路が道路になって合流してきている。
水路跡
旧流路の跡は写真奥の突き当たりで途切れている。
東山谷橋
東山谷(さんや)橋。杉並区でと親柱や欄干が残されていない。橋跡の脇には親柱を模した石柱があり、そこに旧橋名が刻まれている。
高円寺南あたりの旧地名が山谷だったらしい。杉並区には三谷(さんや)町という地名もあり、旧町名としては採用されなかったようだ。
稲荷橋
誰かが「トマレ」の落書きをしている稲荷橋。近くにある田中稲荷神社が橋名の由来らしい。
谷中下橋
南側だけ生い茂ったアーチの先にある谷中下橋。橋の北には光塩女子学院、南には高円寺天祖神社がある。
谷中橋
谷中橋。杉並区の桃園川緑道は中野区ほど橋のバリエーションがないので周りの建物がないとどれがどれだか…
側溝
谷中橋の西側で、遊歩道に突然側溝が現れる。
by Natrium