桃園川の水路敷群(阿佐ヶ谷駅〜上流端)その1
中央線の北側、現在工事中の阿佐谷けやき公園の先に遊歩道がある。どうやらこれが桃園川の上流部分と思われるが、下流側と違って看板のようなものはない。
ここからの写真は2020/8/15撮影。
遊歩道は1ブロックだけで、その先は川跡らしいくねりが残っているものの普通の道路になっている。
しばらく進んだところで、右側と奥に車止めを見つけた。桃園川本流の流路は奥の車止めのところで左から流れてきており、車止めのある場所は合流してくる支流ということになる。とりあえず、手前川から順番に支流を見ていこう。
手前側の支流はごみ収集所の先で北向きに曲がっている。
阿佐谷中央公園に出たところで、蓋暗渠が残っているのを発見。
公園の西側をまっすぐ蓋暗渠が進む。公園の東側には日大二高の支流があり、公園は水路に挟まれた形になっている。
途中で公園と別れた蓋暗渠はアスファルト舗装を伴いながらさらに北へ。
道路に突き当たった。正面の道路は突き当たりの左側で道幅が広くなっており、ここから西の方に上流端があるようだ。
道路を西向きに見たところ。上流端がどのあたりなのかはよくわからなくなってしまっている。
つづいて左折せず直進していく支流を見ていこう。ここは車止めの先ですぐに蓋暗渠が現れる。
透析センターの裏を抜けたところで、欄干が残る橋の跡に出会う。
次の交差点はコンクリートブロックが車止めになっていた。
蓋暗渠は道路に出て終わっていた。水路敷は道路になって左(西)から来ているようだ。
写真奥は中杉通り。通りのあたりが上流端だったようだ。
さて、桃園川本流に戻ってみよう。左に曲がった道路はすぐに右(北)に曲がっている。この写真ではわかりにくいが、写真左奥にある塀のある部分には…
下流に向かう蓋暗渠があるのだ。この支流はどこに向かっているのか、一度下流側に回り込んでみることにしよう。
下流側は中央線ガード北側の阿佐ヶ谷川跡まで続いていた。ここからさきほどの分岐点まで遡っていこう。
ここからの写真は2020/8/23撮影。
上流方向へ進んでいくと、道路の右(東)側に阿佐谷弁天社という祠があった。弁天様が祀られているということは、このあたりに湧き水があったのかもしれない。
神社といえば、少し寄り道をして中杉通りの方にある阿佐ヶ谷神明宮。建久年間(1190〜98年)創建と伝わる古い神社だ。
水路敷に戻ろう。弁天社の北側、病院の間にある道路を抜けた先で、駐車場の脇になかば藪と化した水路敷を発見。
駐車場の奥は蓋暗渠になっていた。どうやら入っていくことができそうだ。
改めて桃園川本流を遡っていこう。北に向かった道路は川跡らしくくねくねと回りながら西へ向かっていく。道路の左側だけやたらと路肩が広いのは、ここがかつて水路敷だったことを示しているようだ。
ここからの写真は2020/8/15撮影。
油断していると路肩に張り出した車止めに進路を阻まれることになる。
中杉通りの西側はインターロッキング舗装された遊歩道になっている。
中杉通りの西側にある松山通りを渡る。松山通りはかつて鎌倉街道阿佐ヶ谷道として永福町の大宮八幡宮と笹目橋近くの早瀬の渡しを結んでいた。
松山通りから西側は、コンクリート製の車止めが置かれた遊歩道が伸びている。
途中で道路部分までインターロッキング舗装されている場所があった。
日大二高の支流が北へ向きを変える交差点の南側、慈恩寺の脇を抜けていく。
今度は道路に挟まれる水路敷。
ここからの写真は2020/12/6撮影。
街路樹にフラフープのように輪っかが巻かれている風景。
途中、南から合流してくる蓋暗渠な支流を発見。道路にも水路敷の跡が残っている。