再び西側の水路敷に戻る。1ブロック先で、水路敷は道路と平行する歩道に戻るが、車止めも付けられており、より水路敷らしい歩道になっている。
しばらくは水路らしいクネクネ道が続く。
水路敷脇の羽沢ふじ公園は、ちょっとした親水公園になっていた。
羽沢ふじ公園の先で、水路敷はいったん道路と別れる。
すぐに再び道路と合流し、うねうねと進んで行く。
その先で、水路敷は道路の右側に移動。
練馬区おなじみの水色の水路敷ペイントの方へ進んで行く。
水路敷が左へ急カーブ。その先は右へクランク状に曲がっている。左の駐車場辺りに湧水があり、下練馬村分水に合流して流れていたそうだが、西武有楽町線建設時に埋め立てられてしまったという。
水路敷は正久保通りに向かって坂道を上って行く。
酒屋の脇に残る鮮やかな水路敷ペイント。
水路敷は正久保通りを渡って南側に移り、環七交差点手前の路地で南へ進んで行く。
写真左寄りにバイクが停められているが、そのあたりで道幅が広くなっており、手前から進んで来る舗装を修繕したあたりが水路敷だったのかもしれない。
正久保通りは、旧埼玉道にあたり、江古田で清戸道(千川通り)と別れてから新桜台駅、氷川台駅、平和台駅、下赤塚駅を通って西高島平駅の北側にある笹目橋脇にあった早瀬の渡しへ向かっている古道。
ここからの写真は2017/7/8撮影。
すぐに水路は環七方向へ曲がっていた。
いったん環七の側道に行き当たって、水路は西武有楽町線の換気塔の横を通って写真右側の道へ向かう。
道路はゆるい左カーブを描いて、ふたたび環七の高架下へ合流。
環七高架下、西側の側道がかつての下練馬村分水とされている。
西武池袋線を超えて、千川通り。武蔵大学の西側あたりで分水していたと言われている。