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石神井川周辺の水路敷群(下練馬村分水)その1
ねりまっぷ
ねりまっぷで今回のコースを見る。おおむね、羽沢と桜台の境を進んで行く形となる。
今回のルートの大半は、もともと千川上水の分水として下練馬村分水(羽沢分水)と呼ばれていた用水路に当たる。
開進橋
開進橋のたもとに口を開けている排水口。もともとはもう少し北側で石神井川に合流していたようだが、とりあえずここが今回の出発点。
ちなみに開進というのはこのあたりの地名ではなく、小・中学校の名称になっているが元は「開智以進徳」という言葉に由来するという。
ここからの写真は2017/7/2撮影。
花木の広場
開進橋のたもとには城北中央公園の花木の広場が広がっている。かつてはこのあたりに水路があったのだと思うが、痕跡はない。
水路敷
花木の広場から少し南に行ったところに、石神井川とは繋がっていない水路敷が残っている。写真奥が、支流の水路があった方向となる。
突き当たり
水路敷の出口から上流方向へ。正面のマンションでいったん水路跡の道路が途切れているが、もともとは敷地を抜けていたようだ。
羽根木
マンションの東南には、道路を挟んで羽根木憩いの森と、羽根けやき憩いの森の二つが広がっている。羽根けやき憩いの森の一角には、地蔵尊と庚申塔が祀られていた。
西南
水路の方は、羽根けやき憩いの森の西側を二車線道路として西南へ進んで行く。
駐車場脇
しばらく二車線道路を進み、羽沢三丁目交差点の先で、仲羽橋から来る水路と出会うところで、駐車場の脇に南へ向かう水路敷を見つけた。
ここからの写真は2013/7/27撮影。
水路交差点
ねりまっぷで昭和38年の空中写真から、水路どうしが接近する場所を見る。
北側から来て南西へ進む水路(当時は開渠)と、北東から来て南へ進む水路(交差点から南は開渠)は、一見交差か分岐しているように見えるのだが、どうやらそれぞれ別の水路として機能していたようだ。
一方、古地図では下練馬村分水としてそのまま仲羽橋へ向かって石神井川に合流していたように描かれている。途中で流路が付け替えられたのかどうかは分からない。
合流点
駐車場から南に進んですぐ、羽沢二丁目アパートの北側で3つの水路が合流していたと思われる場所に至る。
水路歩道
まずは一番西側の水路へ。しばらく、道路とガードレールで仕切られた歩道として続いて行く。
続き
羽沢二丁目アパートの南まで歩道は続いている。
車止め
上の写真奥で車道は行き止まりになっているが、写真右側の車止めの先に水路敷が続いている。
東側
ここで、一度合流点に戻り、残り二つの水路敷を見ていこう。アパート東側には、敷地内通路として水路敷らしき空間が残されている。
ここからの写真は2017/7/2撮影。
東向き
そのアパートからさらに東を向いて見ると、若干坂道を登った位置に、もうひとつ水路敷らしき細道がある。
出口
細道の出口から、下流方向を振り返る。細道はだいぶ高い位置にあり、水路敷と呼ぶには位置が高すぎるかもしれない。
羽根澤稲荷神社
戻ってアパート東側の通路の東側には、羽根澤稲荷神社が置かれている。
ここからの写真は2013/7/27撮影。
はねざわ児童遊園
神社の南側にある「はねざわ児童遊園」。ところで、この辺りの地名だが、現在は「羽沢」と書いて「はざわ」と読ませるのが正解。ところが、下練馬村時代の朝名としては神社の名前にもなっていた「羽根澤」で、「はねざわ」と読んでいたようだ。
実は、昭和7年(1932年)に板橋区となった際に一度「練馬南町」となっていて(練馬区独立時には南町)、その後昭和37年(1962年)に地番整理が行われて復活した地名なのだが、復活した時にはなぜか読み方が変わっていたという話。
行き止まり
東側の通路は児童遊園の先で行き止まりになっている。

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