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石神井川周辺の水路敷群(氷川台〜豊島園)
地図その1
OpenStreetMapで今回のコース前半を見る。今回は石神井川流域でこれまで探索してこなかった氷川台から豊島園までの石神井川左岸を見ていく。
この領域にはいかにも水路跡っぽいくねくねとした道路が残っているのだが、途中で高台に上っている部分があって純粋に水路の跡とは言い難いようだ。とはいえ、下流端と上流端にはそれぞれ地籍図上の水路敷が残っており、大正9年の練馬町全図では水路だった部分もある。
水路っぽい部分と水路っぽくない部分を下流から見ていくことにしよう。
参考資料:
・特別区協議会所蔵「東京府北豊島郡練馬町全図」(練馬町役場, 1920)
・国際日本文化研究センター所蔵「練馬區詳細圖 : 東京都區分圖」(渡辺六郎 / 日本地図株式会社, 1949)
・練馬区環境まちづくり公社 みどりのまちづくりセンター発行「こもれび 67号」(2019)
湿化味橋上流
下流端の水路敷は城北中央公園南にある湿化味(しっけみ)橋よりもやや上流側と、現在放射36号線の工事が進んでいる東京メトロ氷川台駅近くの正久保橋下流側の2ヶ所で石神井川に合流しているが、水路敷としては城北中央公園通りで途切れており、そこから上流側の流路跡は必ずしも道路に沿っているわけではないようだ。
まずは一番下流の湿化味橋近くから西向きに水路敷(道路左側の歩道)を見たところ。しばらくはまっすぐ水路敷の歩道を進んでいく。
ここからの写真は2026/7/3撮影。
交差点
しばらく直進していくと歩道が左から右へ移る場所があるが、ここから1ブロックは水路敷が左側の歩道部分にある。
歩道終わり
すぐに歩道は終わっており、地籍図上も水路敷となっているのはここまで。
とはいえ、しばらく進んだ先には再び水路敷があるので、そことつながっていた可能性はありそうだ。
なお、この付近の旧字名は西湿化味で、城北中央公園西側が東湿化味となっていた。いかにも湿気が高そうな地名ではある。
道幅
そのまままっすぐ進み光傳寺前の交差点を越えて進んでいくとマンションの前で若干道幅が広がっているが、地籍図ではこのあたりから上流方向、道路左側に水路敷がある。
地籍図上の水路敷はここで左に曲がっているのだが、専門学校の敷地になっていてこちら側からはよくわからない。
隙間
南側に回ってみると、マンションの間に水路敷の隙間が残っていた。この水路敷はここまでになっていて石神井川まではつながっていない。
昭和24年の練馬区詳細図でも水路としてはここで終わっているが、大正9年の練馬町全図ではここから石神井川に向かって2本の流れがあった(宅地化されていて痕跡は残っていない)。
西へ
戻って水路敷に沿って西へ。やや幅広い道路だが、水路敷らしさが取り立てて残っているわけではない。
分岐
次の交差点で水路敷は左の石神井川方向へ分岐しており、前方では道路右側に移る。
排水口
石神井川の宮宿(みやじゅく)橋と正久保(まさくぼ)橋の間、右岸側から分岐した水路機の排水口を見たところ。暗渠として現役であることがわかる。
地籍図では道路左側に水路敷がある。
歩道
石神井川左岸側に回って水路敷の歩道を見たところ。
放射36号
ここで少し寄り道して氷川台駅から東に向かって工事が進んでいる放射36号線を見てみる。正久保橋の上流側には新しい橋がすでにできているが、写真奥の右岸側は道路予定地に未買収地が残っており、環状七号線の武蔵野病院前交差点までの開通にはまだ時間がかかりそうだ。
右側
分岐まで戻って道路右側(北)に移った水路敷の歩道を西へ向かう。
城北公園通りへ
歩道は城北公園通りの手前まで続いている。
水路敷末端
水路敷の末端部まで来た。ここで水路敷は終わっているが元の水路は写真奥に見える中古自動車部品店の方から流れてきていたように見える。
上流側
城北中央公園の西側、放射36号線方向から来るクネクネとした道が上流と思われる。ここから上流方向は地籍図としては長狭物となっていて水路としては認識されていないようだが、崖下をクネクネと進んでいく様子はいかにも水路の跡に見える。
道路用地
放射36号線の道路用地を通る。道路が完成すればこの部分は失われることになる。
放射36号
放射36号を渡ってさらに上流へ。
くねくね
地籍図では長狭物になっているが、いかにも水路跡らしいクネクネとした道が続いている。
練馬町全図には写真奥の標識手前付近から左の石神井川に分かれていく水路が描かれているが、宅地化によって痕跡は消失している。
長狭物上流端
長狭物になっている部分の上流端まで来た。交差点の右側だけでなく正面も上っているように見えるのだが、実際練馬町全図の水路は道路よりも左側を流れてきていたようだ。ここでも交差点の左から石神井川方向へ分かれていた支流があったが痕跡は失われている。
一方、道路は水路跡ではなく張り出した丘の部分をショートカットしている形になっている。
下り
丘の部分を越えて西側の坂道を下る。水路は写真奥の方にある低地を左寄りに流れていたようだが、31m等高線は写真手前の交差点よりもやや西側を通っており、道路と関係なく北側に谷が食い込んでいる。しかし、そちらに向かう道はない。
この辺りは石神井川が狭くなっている谷間(川の流れが早く、早淵と呼ばれていた)の東端にあたり、写真右の崖上には旧石器時代から平安時代にかけての住居跡が見つかった東早淵遺跡群がある。
道路脇
低地をまっすぐ進む道路。水路はその左寄りにあったはずだが、道路自体が直線的に作り直されておりどこが水路だったのかはよくわからない。
上り
そのまま道路を進んでいくと、団地の公園に出たところで再び道路が上り坂に向かっていく。
練馬区全図では水路は写真左方向から流れてきており、31m等高線も公園の向こうを横切っている。
高稲荷対岸
さて、ここでいったん水路跡が追えなくなるので石神井川を少し戻って高稲荷公園の対岸へ。
大正9年(1920年)の練馬町前図ではこのあたりで石神井川が北側に蛇行しているように描かれているのだが、その途中に高稲荷公園に向かって出てくる道路左(西)側に水路敷の跡と思われる長狭物が残っている。
水路敷?
前の写真奥の方で道路幅が狭くなっている場所があるが、そこから西へ向かっていかにも水路敷らしい空間がまっすぐ伸びている。ここも地籍図上では上流に向かって長狭物になっている。
車止め
ひとつ西側の道路から長狭物の上流方向を見る。車止めのある細道はいかにも水路敷だ。
斜め
前の写真一番奥で斜め左に曲がった細道は次の道路に出たところで再び西に向かって進む。斜めになっているあたりに31m等高線があり、この細道が崖下を通る水路敷であったことが想像される。
練馬区全図でもこのあたりは水路として描かれている。
上流端
車止めから見ると、奥の方が階段になっている。
階段
西側に回って階段の上から下流方向を見たところ。地籍図上の長狭物は写真左のグレーチング部分までだが練馬区全図の水路は右方向から流れてきていた。
地図その2
OpenStreetMapで高屋敷公園から豊島園までを見る。
階段から西側で再び道路と水路跡が一致しなくなり痕跡はたどれなくなるが、東京都道442号北町豊玉線の西側から地籍図上の水路敷が復活するのでそちらを見に行こう。
段差
高台側から階段の入口(矢印)方向を見たところ。
右側は高台を通り抜ける道で、正面の道路は坂を下ってから石神井川左岸を並走する形になる。道路から左側の低地は元の石神井川がやや南へ蛇行していたところで、早淵前という地名であった。
練馬区全図では左の道路よりもやや右寄りから水路が流れてきていた。
都道
西へ回り込んで都道442号と水路が交差していた場所を下流側から見たところ。
写真手前は行き止まりで水路の跡は残っていないが、交差点から向こうの上流側は道路左(南)側に地籍図上の水路敷が残っている。
あぶない
幅の広い道路を西へ向かっていくと、いきなり道路が右(北)へ直角に曲がる場所から南西方向へ細い水路敷が現れる。
水路敷が車道に出る方向に「あぶない」というペイントがあるのはよく見かけるが、ここは逆向きになっている。すぐ先がジグザグになっているため自転車などの正面衝突を防止するためだろうか。
道路へ
すぐにふたたび道路にでるが、ここにも水路敷に入る方向に「あぶない」と書かれている。
狭い
道路を進んでいくとふたたび細い水路敷が現れるが、左の石神井川方向の方が土地が低いように見える。
ここでちょっと寄り道。石神井川に架かる新大橋と大橋の間にあるコンビニ脇に1区画だけ取り残された水路敷が残っている。
この写真は2026/7/6撮影。
行き止まり?
戻ってさきほどの水路敷を西へ。水路敷から出た路地は、東西に通る道路の向こうで行き止まりになっているように見えるのだが…
ここからの写真は2026/7/3撮影。
車庫脇
近づいてみると車庫の脇に水路敷がある。もっとも、奥の方は閉塞しているように見える。
畑
上流側に回ってみると、補助172号線の建設予定地になっている作りかけの道路から北側を見ると、畑の脇に水路敷(写真正面の草むら)が残っているのが見える。
上流端?
反対側には途中で右に曲がる行き止まりの路地があるが、その曲がるところまでの道路左(東)側が地籍図上の水路敷となっている。
地籍図では写真奥に見える木立の裏側あたりまで水路敷があるが、上流端というよりは石神井川の蛇行部分との分岐跡であった。
トーカン山
そこから石神井川の上流方向には北から台地が張り出してきており、地元ではトーカン山と呼ばれていたという。
対岸にある練馬城を攻めるために太田道灌が陣を張ったという言い伝えがあるという。
写真は石神井川の糀谷橋西側からトーカン山に上る道を見たところ。
宮ヶ谷戸
そのままトーカン山に上り、西側に抜ける。
突き出した台地の西側には石神井川の古い蛇行跡と思われる低地が広がっており、宮ヶ谷戸(みやがいと)と呼ばれていた。現在の早宮という地名は、早淵と宮ヶ谷戸の合成地名なのだそうだ。
取り残され
宮ヶ谷戸にははっきりした蛇行跡は残っていないのだが、なぜか西側の早宮中央通り手前の一角だけ道路北(右)側に地籍図上の水路敷が取り残されている。
by Natrium