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石神井川周辺の水路敷群(春日神社〜宮田橋)その1
ねりまっぷ
ねりまっぷで豊島園北側の流路を見る。豊島園の西側では、石神井川は戦前に改修されているが、豊島園の中には一部旧流路が戦後まで残されていた。
春日神社
春日町の地名の由来になっている春日神社。創建の記録は江戸時代に焼失してしまったため不明だが、藤原鎌足の子孫であり、源頼朝の重心であった工藤左衛門尉祐経(曽我兄弟の仇討ちで討たれた武将)の孫、祐宗が奈良の春日大社から勧請したと伝わっている。
ここからの写真は2018/12/1撮影。
臨時駐車場
春日神社の前から豊島園の敷地方向を見る。写真右奥、わずかに道路が谷間になっているあたりに水路があったらしい。
旧水路
北向きに分岐している道路が、かつての水路。まずはこの道を遡っていこう。
カーブ
道路は西に向かって緩やかにカーブしている。北側にある豊島園通りは崖の上にあり、春日神社あたりが南へ出っ張った形になっているので、崖下に沿ってかつては流れていたのだろう。
くねくね
川筋らしいくねくね道を進む。
あぜ道?
途中、豊島園方向で向かう細い路地がいくつか現れるが、水路敷というよりは、かつてのあぜ道がそのまま残ったもののようだ。
ぐにゃぐにゃ
右へ左へくねりながら水路跡が続いていく。
春日小学校裏門
水路跡は春日小学校の裏門に行き当たってしまう。
春日小学校は1982年(昭和57年)開校で、かつてはその敷地内を水路が流れていた。土地の造成作業中、水路北側に旧石器時代から江戸時代にかけての遺跡が発見され、旧字名ととって尾崎(おさき)遺跡と名付けられている。
西側
春日小学校を回り込んで上流側から見たところ。水路敷はもともと正面の春日小学校へ向け流れていた。上流は写真左側の道路になっている。
くねり
再びくねくねと進んでいく。
合流点
道路が二股になっているところに来た。この場所で二つの水路が合流していたらしい。
南へ
南へ向かう道路は、石神井川沿いを流れる水路から分かれてきている。
北へ
北へ向かう道路も、大回りにはなるが実は石神井川沿いの水路から分かれてきている。
カーブ
北側の道路は徐々にカーブしながら南へ回っていく。
行き止まり
途中、階段の上がフェンスで封鎖されている謎物件に出会う。
南向き
道路は南へ向かう。このあと、一度豊島園の西側で石神井川に架かる石川橋まで戻って、川沿いの水路敷を見てみよう。

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